
40年以上の指導歴と不登校・ひきこもりの
9割を立ち直らせた解決力
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「俺、もう人生終わったんだと思う」
その一言を、17歳のW君は、うつむいたまま呟きました。
通信制高校に転校後、昼夜逆転、家庭内の会話もほとんどなくなり、引きこもり状態が8ヶ月続いていました。
ご両親は、「見守るしかない」と思いながらも、このままでは本当に将来が閉ざされてしまうと感じ、当協会にご相談をくださいました。
そこから始まったのは、“魔法”ではなく、生活の再構築という地道な支援。
寮生活、通学支援、第三者との信頼関係、そして何より「家庭の変化」。
やがてW君は自らの意志で立ち上がり、大学進学を志し、防衛大学校に挑戦。
最終的には、自衛官として社会に羽ばたいていきました。
このブログでは、W君の歩みを通して、
「なぜ“人生終わった”と呟いた子が立ち直れたのか」
「親として、どう動くことが本当に子どもを変えるのか」
その“本質”を、40年以上にわたって1万人以上の支援に携わってきた私・杉浦孝宣が、
現場の実例をもとに保護者の皆さんにリアルにお伝えします。
お子さんの未来を変える鍵は、家庭の中にあるかもしれません。
今、同じように悩んでいるご家庭に、ぜひ読んでいただきたい内容です。
「通信制高校に転校して、これでうまくいく――そう思っていたのに、息子は『人生終わった』と呟いたんです」
これは、W君のご両親から初めて伺った言葉です。
全日制高校に入学したものの、出席日数が足りず進級が難しくなり、やむを得ず通信制高校への転校を決断した。
「自宅で自分のペースで勉強できるから」と期待をかけた選択でしたが、現実は違いました。
通信制高校の“通わなくてもいい”という仕組みは、時に子どもを孤立させてしまいます。
特に、生活習慣の乱れがある子、自己肯定感が低い子、家庭以外に繋がりの少ない子にとっては、
「外に出なくてもいい環境」は引きこもりを加速させる危険があります。
W君もその一人でした。
昼夜逆転、スマホとゲーム漬けの毎日。
家庭内での会話はどんどん減っていき、やがて親子関係は崩れました。
特に、お父さんから聞いた「うちでは目も合わさない。話しかけても無視される。時には物を投げられることもある」という言葉が印象に残っています。
実際、お母さんは「毎日が嵐のようです。ちょっとでも口を出せば怒鳴り返され、私自身、家庭にいるのが怖くなってしまう」と涙ながらに話されていました。
そんな中、ある夜、W君が呟いたのです。
「…俺、もう人生終わったし」
その言葉を聞いた瞬間、私たち支援者でさえ胸が締めつけられる思いでした。
ましてや、親にとってはどれだけ辛い瞬間だったことでしょう。
私もこれまで1万人以上の子どもたちと関わってきましたが、こうした“諦めの言葉”は本音ではないことがほとんどです。
むしろ、「このままではダメだ」「どうにかしたい」という、助けを求める“サイン”であることが多いのです。
W君のご両親は、このサインを見逃しませんでした。
お父さんは私の著書を読み、「もう一度、家族として向き合いたい」と決意。
そして、ご相談に来てくださいました。
「このままでは本当に引きこもりになってしまう。なんとかしたい。でも、どうしたらいいかわからない」と、真剣な表情で。
私はお伝えしました。
「“待つ”だけでは、何も変わりません。けれど、“関わり方”を変えれば、道は拓けます」
この言葉を、ご夫婦は真正面から受け止めてくださいました。
これが、W君とご家族の再スタートの“最初の一歩”でした。
「とにかく見守るしかないと思っていました。でも、それでは何も変わらなかったんです」
W君のご両親がそうおっしゃった時、私は深くうなずきました。
これは、数えきれないほどのご家庭から聞いてきた言葉だからです。
「本人がその気になるまで待つしかない」
「無理やり動かしても逆効果になる」
「いずれ自分で気づいてくれると信じたい」
確かに、否定も強制もしない姿勢は大切です。
でも、それが“何もしない”ことと混同されてしまうと、子どもはますます動けなくなります。
W君のご家庭もそうでした。
通信制高校に転校してからの息子さんの様子を見て、「そのうち少しは落ち着くだろう」「時期がくればまたやる気を出すかもしれない」と、ある種“信じて待つ”スタイルを取っていたそうです。
でも、気がつけば8ヶ月――
部屋から出ることすらなくなり、朝起きてこない。
食事も風呂も自分で管理できず、何を話しかけても無反応か、怒鳴り声。
そのうち「話しかけないでくれ」と言われるようになり、家庭の中が冷え切っていきました。
お母さんはこう語っていました。
「正直、私も夫も、もう何をどうしたらいいか分からなかったんです。『見守る』って聞こえはいいですけど、実際には“手をこまねいていた”だけだったのかもしれません」
そこからご夫婦は、杉浦孝宣の私の本にたどり着き、「このまま放置してはいけない」と、ようやく“行動”を決意されました。
それが12月のことでした。
最初のご相談では、「本人は絶対に東京には行かないと言っている」とおっしゃっていました。
「無理に連れていくのは逆効果じゃないか」
「拒絶されたら、関係がもっと壊れるのでは」
そんな葛藤が、ご夫婦の間でも繰り返されたそうです。
でも私は、こうお伝えしました。
「ここから抜け出すには、“現実”と向き合う勇気が必要です」
「甘やかすことと、愛を持って突き放すことは、まったく違います」
「今、親が動かなければ、子どもはこのまま10年でも20年でも引きこもる可能性があるんです」
この言葉に、お父さんが深く頷きました。
そして、ご夫婦で腹を括られたのです。
ある日、お父さんはW君にこう伝えました。
「このまま働かないなら、家を出るか、東京に行って専門の先生のところでやり直すか、どちらか選べ」
最初、W君は完全に無視したそうです。
会話にならず、時には激しく言い返され、言い争いに。
けれど、お父さんはブレませんでした。
私との継続的な面談(Zoom)を通じて、言葉の選び方やタイミング、伝え方を微調整しながら、
繰り返しW君に向き合ってくれたのです。
そうした親の“本気”は、必ず子どもに伝わります。
最初は拒否していたW君も、少しずつ変化を見せ始めます。
一度は東京行きを断固拒否していたのに、「先生と話すくらいなら…」とポロッとこぼしたのだそうです。
それを聞いたお母さんは、泣きながら私に電話をくださいました。
親の覚悟は、子どもの心を動かす力になります。
“待つ”だけではなく、“仕掛けていく関わり”――
それこそが、W君のような状況を動かす突破口になるのです。
その後、W君ご一家は2月、寒さの残る東京にやって来ました。
「本人は信じているわけではないんです。ただ、行ってみようとは言ってくれた。それだけで嬉しくて」
そう語るお母さんの表情には、張り詰めた8ヶ月を乗り越えた安堵がにじんでいました。
そして――
W君が私の前に現れたとき、彼の瞳には「希望」ではなく「諦め」が宿っていました。
でも、それでよかったのです。
諦めている状態からこそ、再スタートは切れる。
私はそう確信していました。
「働かないなら出ていくか、東京に行って不登校・引きこもりの専門の先生のところに行くか。どっちだ?」
この言葉をW君に伝えるのに、どれだけの葛藤があったか。
お父さんの覚悟は、想像を超えるものだったと思います。
息子を信じているからこそ、もう一度立ち上がってほしい。
でも、信じるだけでは届かない。
だからこそ、あえて“突き放す”選択をされたのです。
私は、こうした言葉が「脅し」ではなく「導き」であるために、親御さんとの面談を重ねて、タイミングや言い方、表情まで細かく確認します。
中途半端に伝えれば逆効果になることもありますし、親の側に覚悟がなければ、子どもはすぐに見抜きます。
でも、W君のご両親は違いました。
12月から3月まで、何度も何度もZoomで面談を重ね、親のあり方や伝え方を学び続けてくださいました。
ただ支援に「任せる」のではなく、一緒に変わることを選んでくださったのです。
「本当に、この子が東京に行くんだろうか」
「無理やり連れて行っても逆効果じゃないか」
「もう自分たちには手に負えないんじゃないか」
そんな不安と、毎日毎日、向き合ってこられたと思います。
けれどある日、お母さんがそっと私に話してくれました。
「このまま見守っているだけでは、何も変わらない気がして。たとえ一時的に反発されたとしても、あの子が“人生終わった”って思い込んでいるなら、私たち親が本気を見せるしかないって思ったんです」
その言葉に、私は胸が熱くなりました。
そして迎えた2月。
W君ご一家は、夫婦そろって息子さんを連れて東京へ来てくださいました。
そして、面談場所に選んだのは――私が創業したフリースクール「高卒支援会 水道橋校」。
その時のことを、私は今でもはっきりと覚えています。
やせた体格のW君は、無理矢理連れてこられたような雰囲気で、椅子に沈み込むように座っていました。
表情は終始憮然とし、腕を組んで私と目を合わせようともしません。
こちらが話しかけても、返事は最小限。
その姿からは、緊張と不信感がにじみ出ていました。
でも、私は知っていました。
こうした態度の奥には、必ず「助けてほしい」という声なき声が隠れているということを。
だから私は、静かに、しかししっかりと目を見てこう伝えました。
「よく来たなあ」
その瞬間でした。
W君の表情が、わずかに揺らぎました。
そして突然、彼の口から、ぽつりぽつりと話し始めたのです。
「…俺、今はダラダラしてますけど、本当は変わりたいって思ってて…」
「大学とかも行けたらいいなとは思うけど、現実的には無理だろうなって…」
「でも、何かしなきゃっていう気持ちは、ずっとあるんです」
私は、耳を傾けながら確信しました。
この子は、自分でわかっている。
今の自分ではダメだと。
でも、それを誰にどう伝えればいいのか、わからなかっただけなのです。
そのとき――
彼のすぐそばにいたご両親が、不思議そうな表情で私の方を見つめていました。
「……なんで、この人(杉浦先生)にはこんなに素直に話すんだろう」
そう言いたげな眼差しでした。
無理もありません。
家庭では何を聞いても反発し、まともな会話すら成り立たなかったはずの息子が、初対面の私に対して、将来や自分の気持ちをこれほど率直に語っているのです。
けれど、それは特別な力でも魔法でもありません。
“否定されない場”があるだけで、子どもは本音を語り始めます。
家庭では言えなかった想いも、支援者との関係性の中で、ふと口をついて出てくる。
それが、「変化の第一歩」なのです。
W君の物語は、ここからが本当のスタートでした。
この面談をきっかけに、W君は学生寮での生活を始め、少しずつ自分の人生を立て直していきます。
次章では、生活のリズムを取り戻していく過程と、支援の現場で起きた変化の連続をご紹介します。
面談を終えた後、W君は小さくため息をつき、うつむいていた顔を少しだけ上げました。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けていたように見えました。
「こんなふうに話せたのは、久しぶりです」
彼がポツリとこぼしたその言葉に、ご両親も私も一瞬、言葉を失いました。
彼にとって“話すこと”そのものが、もはや習慣から外れていたのです。
それでも、この短い時間で、彼の中に何かが芽生え始めていたのは確かでした。
その日を境に、W君は一歩を踏み出す決意をしました。
私たちが提携している学生寮へ入寮し、生活を再構築していくことになったのです。
彼のように、長期間引きこもっていた子どもたちが寮生活を始めるのは、実は大きな挑戦です。
「自分のことを自分でやる」ことすら、最初は難しく感じるからです。
でも、それこそが大事な“リハビリ”なのです。
W君が入寮してすぐ、スタッフたちは“最低限のリズム”だけは一貫して伝えました。
・毎朝、起きる時間を決める
・朝食をとる
・簡単な掃除や片づけをする
・他の寮生たちとの挨拶や雑談
彼は最初の数日は、目を合わせることも少なく、会話もほとんどしませんでした。
でも、生活の“型”を守ることで、身体が自然と「動く」ようになってきます。
ある日、スタッフからこんな報告が届きました。
「W君が、他の生徒とラーメンの話をして笑ってましたよ」
それを聞いたとき、私は心の中で小さくガッツポーズをしました。
たとえ他愛ない話でも、“誰かと笑い合う”というのは、引きこもっていた子どもにとって大きな進歩なのです。
通信制高校サポート校での生活が始まってから、W君は少しずつ変わり始めました。
その理由は、明確です。
それは「否定されない環境」に身を置いたからです。
寮には、同じような経験をしてきた仲間たちがいます。
かつて不登校だった子、家族と口をきかなかった子、昼夜逆転から抜け出せなかった子。
その誰もが、W君にとって“安心できる鏡”のような存在になります。
誰かが先に自分の体験を語れば、「自分も話していいのかな」と感じられる。
寮のスタッフも、子どもたちの話を途中で遮らず、否定せず、ただ“聴く”ことを大切にしています。
そうした積み重ねが、W君の心を少しずつ溶かしていきました。
数週間後、彼は再び私のもとを訪れ、話し始めました。
「俺、やっぱり大学行きたいです。早稲田、無理だとは思ってますけど、受けてみたい気持ちはあります」
「勉強って、正直めっちゃ苦手だけど…でも、今のままじゃ嫌だって、最近思えるようになってきて」
その表情には、ほんの少し“前を向いた光”が宿っていました。
私は彼に伝えました。
「結果はどうあれ、やってみようと思えた時点で、君はもう“終わってない”よ」
「“人生終わった”って言ってたけど、今は“まだ始まってすらいなかった”って気づけたんじゃない?」
彼は、照れくさそうに笑って、「まぁ…そうかもしれないですね」とポツリ。
その後、私たち支援スタッフとのやりとりを通じて、W君は少しずつ生活リズムを整え、自分のことを語れるようになっていきました。
親御さんも、寮での様子を報告で受け取るたびに、少しずつ不安から安心へと気持ちが切り替わっていったように見えました。
「先生と話すと元気になる」
そうW君が言ってくれたことを、後日ご両親から教えていただいたとき、私は心からうれしく思いました。
そして、W君は再び“自分の人生”に、少しずつ向き合い始めました。
次章では、彼がどのように「学び直し」と向き合い、進学や将来への道を見つけていったかをお伝えします。
W君が寮生活を始めてしばらく経った頃、私は毎週届く支援スタッフからの報告を楽しみに待つようになっていました。
最初のうちは「起きられなかった」「朝食に出てこなかった」といった内容が多かったのですが、少しずつ、報告の文面に変化が見られるようになってきました。
「今日は自分で起きてきました」
「朝食のあと、後輩に“おはよう”と声をかけていました」
「スタッフがいなくても自分から皿を片づけていました」
それら一つひとつの報告が、私にとっては嬉しい“成長の証”でした。
W君は8ヶ月間、昼夜逆転の生活を続けていました。
スマホ、ゲーム、動画…。夜中の方が“安心”で、“誰にも邪魔されない”時間だったからこそ、朝起きるということがとてつもなく高いハードルになっていたのです。
でも、寮に入ることで、「周囲と一緒に動く」ことが少しずつ身についていきました。
食事の時間、掃除の時間、通学の時間――自分だけでなく、他の仲間たちも同じように動いている。
その空気の中で、W君も自然と“動く”ようになっていったのです。
もちろん、最初からスムーズにいったわけではありません。
寝坊する日もあれば、「今日は無理です」と布団から出られない日もありました。
けれど、スタッフはそこで責めたりはしません。
「昨日は頑張ったよな」「今日はどうした?」と声をかけ、本人のペースを尊重しながら、少しずつ“起きられる成功体験”を重ねていきました。
W君はその後、私たちが提携する通信制高校のサポート校へ通うことになります。
通信制高校は、本来はレポート提出中心の学びですが、私たちが運営するサポート校では「通学型」の支援を取り入れています。
それは、「人と関わること」「日々のルーティンを守ること」こそが、引きこもり脱出の鍵になると確信しているからです。
W君にとって、朝起きて、支度をして、学校に向かう――たったそれだけの行動が、どれほどの意味を持っていたか。
それは、何より本人が一番実感していたはずです。
学校に着けば、スタッフが笑顔で「おはよう!」と迎えてくれる。
朝の会で他の生徒と挨拶を交わす。
午前中の学習時間には、苦手な数学にも挑戦する。
最初は静かに座っているだけだったW君も、少しずつノートを開くようになり、自習時間にわからない問題をスタッフに聞くようになっていきました。
ある日、W君は学校内でこんな経験をしました。
「先生、◯◯君が、プリントの順番わかんないって言ってたんで、僕が並べてあげました」
報告を受けた私は、静かにうなずきました。
人は、“自分が誰かの役に立った”と感じたとき、初めて「ここに居てもいいんだ」と思えるものです。
それは、成績でも、偏差値でもありません。
ほんの小さな“誰かとの関わり”の中で、「自分にもできることがあった」と感じられる。
それが、引きこもりの子どもにとって何よりの自信になります。
W君も、そうした経験を通じて、少しずつ自分の存在を肯定できるようになっていったのです。
支援は、一発逆転の魔法ではありません。
毎日の積み重ね――それだけです。
でも、それこそが**“本物の変化”を生む道**だと、私は確信しています。
寮の生活リズム
学校の学びと関わり
他者と接する中で得る気づき
この3つがW君の中で少しずつ噛み合い始め、「生き直し」の土台ができていったのです。
そして、生活リズムが整い、「通える」という実感が持てるようになった彼は、やがて「学びたい」という次のステージへと進んでいきます。
次章では、W君が大学進学という新たな目標と向き合い、自ら人生を切り開いていった様子をお伝えします。
W君が初めて、「大学へ行きたい」と口にしたのは、寮生活とサポート校通学が軌道に乗り始めた頃のことでした。
彼は、静かに、けれど確かな口調でこう言いました。
「俺…早稲田、行ってみたいと思ってるんです」
一瞬、私は「おお、来たな」と心の中でうなずきました。
それは突拍子もない話ではなく、支援を受けて数ヶ月、生活が整い、外に出る習慣がつき、学び直しへの意欲が芽生えた――まさに“次の目標”が自然に浮かび上がってくるタイミングだったのです。
W君は言いました。
「今までずっと“何もやってない”って感覚だったんです。でも、最近は朝起きて学校行って、帰ってきて夜ご飯食べて…っていうのが、当たり前になってきて。
…だったら、次、ちょっと勉強も頑張ってみようかなって」
私はこう返しました。
「早稲田はいい目標だ。でも、まずは模試を受けてみようか。今の自分の実力を知るところから始めよう」
彼は少し間をおいて答えました。
「模試は受けてみます。でも…予備校は行きたくない。ああいうガツガツした雰囲気、苦手で」
この言葉を聞いて、私は確信しました。
W君は、**“自分で選び、自分で考える力”**を取り戻し始めている。
誰かに指示されてではなく、自分のペースで、自分の意志で進みたい――それが彼の本心だったのです。
模試の当日、W君は緊張した面持ちで出発しました。
後日、彼から報告がありました。
「全然できませんでした。時間も足りなかったし、途中で眠くなったし。でも、受けたのは初めてだったから、ちょっとホッとしました」
この言葉に、私は大きな価値を感じました。
結果よりも、“挑戦した”という事実。
“行けた”“やれた”という実感を持てたこと。
それこそが、彼の自信を支える“根”になるからです。
ご両親にこの報告を伝えると、お父さんはしみじみとこうおっしゃいました。
「高校に入ってから、勉強らしい勉強は一切してなかったんです。だから、点数なんてどうでもいいんです。模試を受けたって聞いただけで、もう、それだけで嬉しいです」
この言葉に、私は支援者として胸が熱くなりました。
その後、W君は模試の結果をじっくり眺めて、こう話してくれました。
「やっぱり、早稲田は難しいと思いました。でも、興味あることは見つかった気がして。…防衛大とか、どうですかね?」
私はすぐに「いいじゃないか!」と返しました。
夢は、一度決めたら変えてはいけないものではありません。
むしろ、経験を通して修正していく過程こそが“本物の選択”です。
彼は続けてこう言いました。
「寮生活って、最初めっちゃキツかったんですけど、今は逆に心地いいんですよ。時間が決まってて、掃除当番があって、ご飯が出てきて。…防衛大の寮生活、できるかもしれないなって」
そこには、「自分は無理だ」と決めつけていた頃の彼の姿は、もうありませんでした。
この頃、W君と親御さんとの関係も、明らかに変化してきていました。
以前のような緊張や衝突はほとんどなくなり、むしろ、お互いが「信頼し合う距離」を自然に築けていたように感じます。
これは、親御さん自身が支援を“我が子に任せる”のではなく、“自分たちも関わる”という姿勢を崩さなかったからこそです。
継続的なZoom面談を通じて、家庭内の声かけ、接し方、期待の伝え方――そうした“関わりの質”が変わっていったのです。
たった数ヶ月前、
「もう人生終わった」
「俺なんか何やってもダメ」
と呟いていたW君が――
今では、防衛大学校への進学を目標に、自分の体験を言葉にし、人と話し、未来を描くようになっています。
それは決して、特別な才能があったからではありません。
必要だったのは、
この4つだけです。
「先生、やっぱり…防衛大、目指してみようと思います」
W君がそう口にしたとき、私は強くうなずきました。
それは「逃げの選択」ではなく、「自分で選んだ覚悟ある進路」だと、彼の表情が物語っていたからです。
■ 規律ある生活が、むしろ“心地よく”感じられるように
W君が防衛大学校を意識し始めたきっかけは、意外にも「寮生活」でした。
最初はあれほど嫌がっていた共同生活。
時間に縛られ、当番があり、他人と生活を共にする――以前のW君からは、もっとも遠い暮らしでした。
けれど、今のW君は違いました。
「自分のことをちゃんとやるって、案外悪くないです。洗濯もできるし、掃除も慣れました。
最初は面倒だと思ってたけど、リズムがあった方が気持ちがラクです」
この言葉を聞いたとき、私は心の中で“ひとつの節目”を感じました。
自分を律し、責任を持って生活する――それが自然にできるようになったという事実。
これは、「次のステージ」へ進めるサインでもあります。
W君が防衛大学校を調べ始めると、彼の中に「社会と関わりたい」という意識が芽生えてきたのが分かりました。
「昔は、自分が何をやっても誰かの迷惑になると思ってたんです。
でも、最近は“誰かの役に立てるならやってみたい”って、思えるようになってきて…」
防衛大の資料を読みながら、彼は何度も「これ、頑張ればいけるかな…」とつぶやきました。
自衛隊として働く未来を、真剣に想像している様子が伝わってきました。
目標が“大学に行く”から、“社会に貢献する”へと広がっていく――
これは、引きこもりからの社会復帰において、非常に大きな意味を持つ変化です。
防衛大学校の一次試験は、学科試験。
彼は数ヶ月、コツコツと自分なりのペースで勉強を重ね、模試も受けました。
試験当日、彼は緊張した面持ちで私たちに手を振り、会場へ向かいました。
支援スタッフたちは皆、心の中で祈るような気持ちで送り出しました。
数週間後――
「一次、通りました!」
W君からの報告に、私たちの事務所は一瞬どよめき、そして拍手が起こりました。
でも、本番はここからです。
最大の山場は、面接試験。
W君は面接を受けました。
緊張のあまり、うまく答えられない場面もあったそうです。
そして届いた結果は――「不合格」。
彼は、ぽつりとこう言いました。
「やっぱり、ダメでした…でも、悔しいって気持ちがあるんです。昔だったら、“やっぱり俺なんかダメだ”で終わってたけど、今回は、“また挑戦したい”って思ってます」
私はその言葉を聞いて、思わず頷きました。
“挑戦して失敗した”より、“挑戦すらしなかった”方が、ずっと悔しい。
W君は、前者を選べるようになっていたのです。
彼はその後、防衛大には進めなかったものの、高校を卒業し、別の形で自衛隊への道を選びました。
入隊後は、整った規律の中で、自分の力を活かして働いていると聞いています。
彼が歩んだ道は、当初思い描いていた「早稲田」とは違いました。
けれど、それは“妥協”ではなく、“自分自身の選択”でした。
かつて、「人生終わった」と呟いていたW君が――
今では、自ら人生を切り拓き、社会に貢献する存在となっている。
それこそが、私たちの支援が目指している「再スタート」の形です。
W君の変化を支えた最大の要因は、紛れもなく「ご両親の覚悟と行動」でした。
どんなに衝突があっても、見捨てず、関わり続けたお父さん。
誰よりも息子の変化に涙し、支援を信じてくださったお母さん。
ご家族が“一枚岩”になって動いたからこそ、W君は外に出る勇気を持ち、挑戦する力を育んだのです。
「やる気が出ないんです。」「本人が全然動こうとしないんです。」
これは、私のもとに寄せられる保護者の相談で、最も多い悩みのひとつです。
でも私は、こう答えます。
「やる気がない子なんて、いないんです。環境が“やる気を出せる状態”になっていないだけです」と。
W君のケースは、そのことをまさに体現してくれました。
W君が「人生終わった」と口にしていた頃、実は“やる気”は心の奥底に眠っていたはずです。
でもその頃の彼は、昼夜逆転、栄養の偏った食生活、誰とも会話しない毎日。
「やりたいことがあっても、動けない」「夢があっても、起きられない」――
そんな生活では、やる気どころか、考える力すら奪われてしまいます。
だから私たちが最初に行ったのは、**「心のケア」ではなく、「生活の再構築」**でした。
・決まった時間に起きる
・食事を摂る
・人と関わる
・小さな役割を持つ
・外に出る
どれも、特別なことではありません。
でもこれらの「当たり前」を、もう一度ひとつずつ積み上げていくことが、引きこもり状態からの脱出には何より大切なのです。
W君は、寮生活に入り、通信制高校サポート校へ通い始めてから、少しずつ変わっていきました。
・朝決まった時間に起きるようになった
・他の寮生やスタッフと会話を交わせるようになった
・学校へ「通う」ことが当たり前になった
・掃除や片づけといった役割をこなすことで“自分が必要とされている”と感じられた
これらの積み重ねが、“やる気の芽”を静かに、でも確実に育てていきました。
「早稲田に行きたい」
「模試を受けてみたい」
「防衛大学に挑戦したい」
――そうした言葉が出てきたのは、生活リズムが整い、自分を取り戻し始めた“あと”です。
多くの保護者が、「どうすれば本人のやる気を引き出せるのか」と悩まれます。
でも、“やる気を出させる”という考え方自体が、時にプレッシャーとなり、子どもを追い詰めてしまうことがあります。
W君のご家庭では、お父さん・お母さんが共に覚悟を持って動かれました。
・無理に変えようとせず、信じて見守ったこと
・Zoom面談を通じて支援と連携し続けたこと
・環境の切り替え(東京での面談、寮生活)を決断したこと
これらの「家庭の変化」が、W君の変化を根底から支えていたのです。
私が40年以上の支援で確信しているのは、
心の問題は、生活が整えば自然と動き始めるということです。
だから、私たちの支援では常にこうお伝えしています。
✅ まずは生活リズムを立て直す
✅ 親がブレずに関わり方を学ぶ
✅ 安心できる環境をつくる
✅ 信頼できる第三者とつながる
✅ そして、子ども自身の「やってみたい」を待つ
この順番を誤ってはいけません。
W君がやる気を取り戻せたのは、偶然ではありません。
・「否定されない安心の場」
・「通える学校という拠点」
・「役に立っている」と感じられる日々
・「できた」と思える小さな成功
それらが揃って、初めて「もっとやってみたい」という気持ちが湧いてくるのです。
かつて「人生終わった」と言っていたW君が、今では自衛官として社会に出て、人の役に立つ仕事に取り組んでいる。
それは、本人の力だけではありません。
家族と支援と環境が、三位一体で歩んできた“チーム”の成果なのです。
私が40年以上、不登校・引きこもりの子どもたちと向き合ってきて、確信していることがあります。
それは、
「支援のカギを握るのは、子どもではなく“親と家庭”である」ということです。
W君のケースを振り返っても、最初のきっかけは彼自身ではありませんでした。
きっかけを作ったのは、“もう待っているだけではダメだ”と覚悟を決めたご両親の行動でした。
「突き放すのではなく、境界線を引く」
「支援とつながり、話し方や関わり方を変える」
「“見守る”から“動く”へ切り替える」
これらの一つひとつの決断が、W君の変化を生み出しました。
相談現場でよく聞くのが、
「うちの子は話を聞かないんです」
「うちはもう手遅れかもしれません」
「この子は特別だから…」
という言葉です。
でも、私ははっきり言います。
どの子にも、変わる力はある。
ただし、それを引き出すには、“家庭の関わり方”という土壌を耕す必要があるのです。
W君は、変わりたい気持ちがなかったわけではありません。
ただ、“変われる環境”がなかっただけです。
そして、家庭が「本人の選択を尊重しながら、適切なタイミングで支援につなげる」ことができたからこそ、彼の中にあった“動きたい力”が表に出てきたのです。
「無理やり変えようとする」でもなく、
「何もしないで見守る」でもなく、
“一緒に変わっていく”こと。
これこそが、私たちが実践し続けている支援の本質です。
子どもが変わるには、親の覚悟が必要です。
でも、親が孤独に頑張るのではありません。
私たちの役目は、親御さんに「いつ、どう動くか」「どう言葉をかけるか」「何を手放すべきか」を伝え、共に悩み、寄り添い、伴走することです。
W君のご両親も、何度も葛藤し、悩みながらも、Zoom面談を重ねて支援の手綱を緩めることなく握り続けてくださいました。
そして今、彼は社会に出て、自分の足で歩いています。
不登校や引きこもりの支援に「時間が解決する」は通用しません。
むしろ、時間が経つほど、本人の自己否定感と家族の疲弊は深まっていきます。
だからこそ、「今」動くことが大切なのです。
このブログをここまで読んでくださったあなたは、もう「変わりたい」と願っているはずです。
その気持ちこそが、支援の第一歩です。
「変わってくれるのを待つ」のではなく、
「一緒に変わる」勇気を、今、持ってみませんか?
私たちが全力で伴走します。
あなたのお子さんにも、W君のように、きっと「前を向ける日」がやってきます。
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今の延長線上にない選択肢を知ることで、未来の可能性がぐっと広がります。
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そうおっしゃる保護者の方が、本当に多くいらっしゃいます。
どうか、ひとりで抱え込まないでください。
あなたと、あなたのお子さんの未来が開けますように。
私たちが、全力で支えます。
一般社団法人不登校引きこもり予防協会
代表理事 杉浦孝宣 (すぎうら たかのぶ)