
40年以上の指導歴と不登校・ひきこもりの
9割を立ち直らせた解決力
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こんにちは。
一般社団法人不登校引きこもり予防協会の杉浦孝宣です。
「中学受験を乗り越えて、ようやく安定した学校生活が送れると思っていたのに…」
そんな期待が一転、不登校や引きこもりに変わってしまうケースが、近年増えています。
今回ご紹介するのは、中高一貫校に進学後、不登校から引きこもりに陥り、やがて公務員として社会に復帰したタツマ君と、そのお母さんの実録インタビューです。
「学校に行けなくなったのは、私の育て方が悪かったのでは?」
「このまま見守るだけでいいのだろうか…」
タツマ君のお母さんも、あなたと同じように、深い葛藤と自責の念を抱え続けていました。
しかし、彼女が支援を受ける決断をしたことで、親子関係は変わり始め、タツマ君自身も「自分の力で未来を切り開く」という希望を取り戻していきます。
この記事では、
これらを、母親のリアルな声と当協会の支援事例を交えてお伝えします。
お子さんが今、笑顔を失い、部屋にこもっているなら——。
「まさか、うちの子が…」
タツマ君のお母さんは、当時を振り返り、こう語ってくれました。
タツマ君は小学校時代、どちらかといえば真面目で努力家なタイプ。
塾にも熱心に通い、中学受験に挑戦しました。家族全員が彼を応援し、合格発表の日は、笑顔と涙でいっぱいだったといいます。
「これでようやく安心できる。いい学校に入れたんだから、あとはきっと楽しい学生生活が待っている——そう思っていたんです。」
しかし、その期待は入学後すぐに崩れました。
進学後数週間、タツマ君は「疲れた」と言うことが増え、朝も起きづらくなりました。最初はお母さんも「受験疲れが残っているのだろう」と軽く考えていたそうです。
ある朝、「お腹が痛い」と訴えたタツマ君を無理に登校させようとすると、強く反発されました。
次第に「今日は休む」「明日も休む」と日が続き、欠席が1週間、2週間と長引いていきました。
「最初は、ただのサボりだと思ってしまったんです。受験で頑張りすぎた反動だろうって…でも、そんな簡単なことじゃなかった。」
学校への連絡を入れるお母さん自身も、当初は“そのうち戻れるだろう”とどこかで思っていました。しかし現実は違いました。
クラスの進度はどんどん進み、タツマ君は「僕だけ置いていかれる」と言い始めました。
1ヶ月が過ぎた頃には、昼夜逆転が始まりました。
夜中にスマホをいじり、朝は布団から出られない。話しかけても返事が少なくなり、時折イライラをぶつけてくるように。
「どうして学校に行けないの?」「他の子はちゃんと行ってるのよ!」と叱りつけた日もあったそうです。
でもその度にタツマ君の表情は硬くなり、ますます部屋にこもる時間が増えました。
「母親として、どう接していいのかわからなかったんです。優しくすればいいのか、厳しく言うべきなのか…。毎日、自分が間違っているんじゃないかって、自分を責めてばかりいました。」
お母さん自身も、周囲には相談できず、一人で抱え込んでしまいました。
「中学受験をさせたのが失敗だったのかもしれない」「私が追い詰めたんじゃないか」——夜中に布団の中で泣いたこともあったといいます。
当時、お母さんが信じていたのは「本人がそのうち自分で立ち直るだろう」という希望でした。
しかし、その希望は少しずつ崩れていきます。
タツマ君は部屋に閉じこもり、親との会話もほとんどなくなり、時には物に当たることもありました。
「見守ることが正しいと思っていたけれど、あのままじゃきっと一生部屋から出てこなかったと思います。」
この時点でタツマ君は、当協会のステージ判定でいう【ステージ3(昼夜逆転・入浴拒否・無反応)】の状態に該当していました。
「何とかしなくちゃ」という思いと「どうしていいかわからない」という不安が入り混じり、お母さん自身が限界を感じ始めたのです。
「合格したら安心だと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて——」
タツマ君のお母さんは、当時の戸惑いをそう振り返ります。
実は、タツマ君のように**「中学受験に合格したのに、中高一貫校で不登校になる子ども」**は決して珍しくありません。
当協会にも、同様の相談が毎年数多く寄せられています。
では、なぜ中高一貫校という「学びの環境が整ったはずの場所」で、不登校が増えるのでしょうか。
お母さんの実感と、支援現場での経験を踏まえて、その背景を整理します。
まず挙げられるのが、受験後の燃え尽きです。
タツマ君も、小学校時代は受験勉強中心の生活でした。
塾の宿題、模試、親との話題もほとんどが「勉強」。
お母さん自身も「頑張って合格すれば、その先は楽になる」と信じていました。
しかし、合格直後に子どもが感じるのは**「ゴールテープを切った後の空虚感」**です。
「頑張る理由がなくなった瞬間、糸が切れたように疲れが出たんだと思います」とお母さんも話していました。
特にタツマ君は真面目で努力家だったため、プレッシャーを受け止めすぎたのかもしれません。
中高一貫校では、同じように受験を乗り越えてきた優秀な同級生が集まります。
「自分はできる方だ」と思っていた子どもたちが、入学後すぐに成績の壁にぶつかることは珍しくありません。
タツマ君も例外ではありませんでした。
「周りはみんな頭がいい」「自分だけができない」という劣等感が次第に強まりました。
お母さんは当時のタツマ君の言葉を思い出し、こう語ります。
「最初は『勉強が難しい』って言ってたけど、そのうち『僕はここにいちゃいけない人間だ』と言うようになって…。」
プライドが高く、自分を責めやすい子ほど、このギャップに苦しみやすいのです。
結果、自己肯定感が急激に下がり、学校生活全般への意欲が失われていきます。
中高一貫校では、「できて当たり前」という雰囲気が強く、先生も生徒も「勉強を頑張ること」を前提にしています。
そのため、困っていても「助けて」と言い出せない子が多いのです。
タツマ君も、最初の頃は母親に本音を打ち明けませんでした。
「何かあったら言ってね」と声をかけても、
「大丈夫」「平気」と答えるだけ——。
実際には、すでにクラスになじめず、休み時間も一人で過ごしていたそうです。
お母さんも当時は「そのうち友達もできる」と楽観視していましたが、
「もっと早く気づいていれば…」と今でも悔やんでいると話していました。
タツマ君に限らず、当協会で支援した他の子どもたちにも同じ傾向が見られます。
これらの事例からも、
「学力が高い=メンタルが強い」わけではないことがわかります。
むしろ、真面目で頑張り屋の子ほど、自分を追い込みやすいのです。
お母さんは当時の自分を振り返り、こう語りました。
「いい学校に入ったんだから、頑張れるはずだと思い込んでいました。
でも、それが子どもを余計に追い詰めていたんです。」
多くの保護者も同じ誤解をしています。
「中高一貫校だから安心」という思い込みが、子どものSOSに気づくのを遅らせてしまうのです。
「見守るだけでいいと思っていました。でも、あのままだったら一生出てこなかったと思います。」
タツマ君のお母さんは、当時の自分を悔やむように語ります。
実は、この「見守り続ける」という選択が、引きこもりを長期化させる最大の原因のひとつです。
当協会では、子どもの状態を5段階のステージ判定で評価しています。
ステージが進むほど、家庭内だけでの対応が難しくなり、専門的支援が必要になります。
ステージ1〜2は、家庭の声かけや生活習慣の見直しで改善できるケースもあります。
しかし、ステージ3以上では、親だけの対応ではほとんど改善が見込めません。
タツマ君も相談時には、まさにステージ3に該当していました。
この段階になると、親がいくら優しく声をかけても「うるさい」「何もわかってない」と反発されるか、
完全に無視されることが多くなります。
タツマ君も、お母さんの問いかけに答えるどころか、「ほっといて!」と怒鳴ることが増えていたそうです。
多くの親御さんは、最初こう考えます。
「無理に動かすと逆効果かもしれない」
「本人がそのうち気持ちを切り替えるだろう」
もちろん、子どものペースを尊重すること自体は大切です。
しかし、ステージ3以上では「時間が経てば改善する」という考えは通用しません。
理由は2つあります。
この悪循環が長期化すると、ステージ4〜5へと進み、家庭内暴力や深刻なゲーム依存、うつ状態など、二次障害のリスクが高まります。
タツマ君のお母さんは、当時を振り返りこう話しています。
「本人のために“待つ”つもりだったけど、それは“何もしない”こととは違うと気づきました。もっと早く専門家に頼っていれば、あんなに長引かなかったかもしれません。」
放置が長期化すればするほど、支援にかかる時間も労力も増えます。
逆に、ステージ3の段階で適切な支援が入れば、数ヶ月〜1年で大きな変化が見られるケースも多いのです。
次章では、お母さんが「見守るだけ」をやめ、専門的支援を決断した理由と、その時に感じた不安や迷いをお伝えします。
「このまま見守っていても、きっと何も変わらない——そう思ったんです。」
タツマ君のお母さんが当協会へ相談に来たのは、不登校が始まって3年以上が経った頃でした。
その頃には、昼夜逆転は完全に定着し、部屋に閉じこもる時間が長くなり、親子の会話もほとんどない状態でした。
最初の数か月間、お母さんは「本人がそのうち気持ちを切り替える」と信じていました。
しかし、ある朝、何気なくかけた言葉がタツマ君を逆上させました。
「そろそろ宿題くらいやってみたら?」
そう言った瞬間、タツマ君は大声で「うるさい!」と怒鳴り、机を強く叩いたのです。
「こんなに追い詰められていたなんて…」
お母さんは初めて、息子の心が限界に近いことを実感しました。
その夜、布団の中で泣きながら考えたそうです。
「このままでは、タツマは一生部屋から出られなくなるかもしれない。
見守るだけなんて、親としての責任を放棄しているんじゃないか——。」
それでも、すぐに支援機関へ相談したわけではありません。
お母さんの中には、いくつもの迷いがありました。
しかし一方で、「このまま何もしなければ、もっと悪化する」という危機感が日々強まっていきました。
お母さんは、その不安を解消しようと不登校に関する本を読み漁り、講演会にも足を運びました。
その中には、私が書いた著書も含まれていました。
「ある有名な不登校の専門家は、“不登校は放っておけば、そのうち治ります。見守りましょう”と言っていました。でも、杉浦先生の本を読んでハッとしました。『見守るだけでは、引きこもりになるリスクが高い』と書いてあって、私の考えが甘かったと気づいたんです。」
加えて成功事例が満載のリンク集を参考にしていただきたいと思います。当会のミッションに共感し、真剣にお子さんの不登校や引きこもりを解決したい方、ぜひ私たちと一緒に取り組みましょう。一緒にお子さんの未来を輝ける人生に切り開いていきましょう!時間は待ってくれません。不安を感じたその時が、解決への第一歩を踏み出すチャンスです。私たちと一緒にお子さんの未来を守りましょう!
思い切って当協会へ電話をくださったお母さんは、最初は震える声でこうおっしゃいました。
「私、何をすればいいかわからないんです。でも、このままじゃいけないって思って…。息子に笑ってほしい、それだけなんです。」
私はこうお答えしました。
「はい、当会は“見守るだけ”ではなく、引きこもりへのリスクを最小限にするために、段階的な支援を行っています。お母さんが変われば、子どもも変わりますよ。」
このやり取りが決定打となり、お母さんは支援を受けることを決意しました。
「相談が終わった後、少し気持ちが軽くなりました」と話していたお母さんの声が、今でも印象に残っています。
タツマ君への支援は、当協会が提唱する**「7つの支援ステップ」**に沿って進められましたが、特徴的だったのは、
お父さんが積極的に関わったことで、通常必要とされるいくつかのステップを飛ばすことができた点です。
支援が進むにつれ、親子関係が改善し、タツマ君自身も「変わりたい」という気持ちを取り戻していきました。
ここでは、タツマ君が歩んだ実際のステップと、支援中に見られた変化を詳しく紹介します。
支援の第一歩は、タツマ君の現状を正しく把握することから始まりました。
初回面談で、生活リズムや行動パターンを詳細にヒアリングした結果、タツマ君は典型的なステージ3(昼夜逆転・入浴拒否・親の声かけを拒否)の状態でした。
特に印象的だったのは、自分の部屋にバリケードを築き、家族が入れないようにしていたことです。
親への強い拒絶と、自分の世界に閉じこもろうとする防衛反応が明らかでした。
お母さんはステージ表を見せられ、初めて冷静に現実を受け止めたといいます。
「“もう少し様子を見てもいい”と思っていましたが、ステージ表を見せられて、もう待ってはいけない段階だと理解できました。」
支援が始まって最初に大きく変わったのは、お母さん…ではなく、お父さんでした。
タツマ君のご家庭では、以前に相談した不登校専門家から「お父さんは関与するな」と言われていたそうです。
しかし、当協会では真逆の方針を取ります。
「お父さんが変われば、子どもも変わります。お父さんにしかできない役割があります。」
お父さんはこの言葉を受け止め、コーチングを受けながら、タツマ君への声かけや接し方を根本から変えました。
厳しい指摘や感情的な言葉を控え、タツマ君の小さな変化を認める声かけに徹した結果、
徐々に親子間の緊張が和らぎ、タツマ君も以前ほど強く反発しなくなりました。
通常、ステージ3ではスタッフが家庭訪問を行い、信頼関係を築きながら外に出るきっかけを作ります。
しかしタツマ君の場合、お父さんの積極的な関与により、家庭訪問を行わずに済みました。
お父さん自身がタツマ君を説得し、直接当会に連れてくることができたのです。
「お父さんが“本気で支援する”と決めたのが伝わったからでしょうか。本人も最初は嫌々でしたが、思ったほど強い拒否はありませんでした。」
とお母さんも当時を振り返ります。
通常は昼夜逆転や生活リズムの改善のために合宿や学生寮での共同生活を行います。
しかしタツマ君の場合、お父さんの強力な指導と家庭内での取り組みによって、合宿を利用せずに済みました。
お父さんはタツマ君の起床・就寝時間を一緒に管理し、散歩や簡単な運動にも付き合いました。
お母さんは「家では無理だと思っていた生活リズムの改善が、父親が本気で動いたおかげでできた」と語っています。
タツマ君が自信を取り戻す大きな転機となったのが、この「学び直し」のステップです。
通信制高校に転校し、当会のサポート校で基礎から学び直しを始めました。
タツマ君の不登校の直接的な原因は、英語でつまずいたことでした。
周りの生徒がどんどん進む中、基礎が理解できず劣等感が強まり、自己肯定感を失っていったのです。
そこで、サポート校では中1のアルファベットから徹底的に学び直すことにしました。
基礎からやり直すことで「自分でもできる」という小さな成功体験を積み重ね、タツマ君の表情が徐々に明るくなっていきました。
「勉強ができるようになると、タツマの表情が変わりました。“僕でもやればできるんだ”と言った時は、本当に嬉しかったです。」
とお母さんも語っています。
通常、社会との接点を作るためにアルバイトやインターンを経験しますが、
タツマ君は大学受験に専念したいという強い意志があり、支援スタッフもそれを尊重しました。
タツマ君は一浪の末、東京6大学に進学しました。
大学では当会で学生インターンとして、後輩たちの勉強指導や悩み相談に積極的に参加しました。
支援を受けた側から支える側へ——この経験が、タツマ君にとって大きな自信につながりました。
最終的に、タツマ君は公務員という安定した仕事を選びました。
地域社会に貢献する仕事を選んだ息子の姿を見て、お母さんはこう語ります。
「まさか引きこもっていた息子が、今は人の役に立ちたいと言って働いているなんて…。あの時、一歩踏み出して本当に良かったです。」
「変わったのは息子だけじゃありません。私自身が一番変わったと思います。」
タツマ君のお母さんは、支援を振り返りながらこう話してくれました。
支援が始まる前、お母さんは常に不安と自責の念に押しつぶされそうになっていました。
「中学受験をさせたのがいけなかったのかもしれない」「私がもっと優しくすれば…」
そんな思いが頭から離れず、夜中に涙を流すことも少なくなかったといいます。
当協会でコーチングを受け、ステージ判定を受けたことで、お母さんは初めて「親だけでは限界がある」と知りました。
「私が悪いんじゃなくて、方法を間違えていただけだと気づいた時、気持ちがすごく楽になりました。」
この“自己否定からの解放”が、お母さんにとって大きな転機でした。
子どもと向き合う時も、感情的に責めることが少なくなり、穏やかに話しかけられるようになったのです。
お母さんが特に印象に残っているのは、タツマ君が初めて「ありがとう」と言ってくれた日のこと。
「お父さんと一緒に支援に協力するようになってから、タツマが“うざい”って言わなくなったんです。ある日、“お母さん、ありがとう”って小さな声で言ってくれて…あの時は涙が止まりませんでした。」
以前はお互いが苛立ち、会話をすればケンカになる日々でしたが、支援を通じて少しずつ親子の信頼関係が戻ってきました。
タツマ君が東京6大学に進学し、当会で学生インターンとして後輩を指導する姿を見た時、お母さんは深い感慨を覚えたといいます。
「引きこもっていた子が今は“人の役に立ちたい”と言っている。その姿を見て、私も“見守る”だけじゃなく、一緒に動く親でいなきゃと思いました。」
お母さん自身も、支援を通じて「子どもを一人の人間として信じる」という本当の意味を学んだそうです。
最後に、お母さんは同じように悩む保護者の方々へ、こんなメッセージを残してくれました。
「放っておけば、そのうち治ると思っていました。でも、それは間違いでした。
どうか一人で抱え込まないでください。親が変われば、子どもも変われます。あの時、一歩踏み出して本当によかったと今、心から思います。」
「うちの子も、このまま引きこもり続けるのではないか…」
「何をしてあげればいいのかわからない…」
タツマ君のお母さんがかつて感じていた不安や迷いは、今この文章を読んでいる保護者の皆さまと同じものかもしれません。
私が40年以上、1万人以上の子どもたちと向き合ってきた経験から言えることは、
「親が変われば、子どもも必ず変われる」ということです。
タツマ君のお母さんが最初に抱えていたように、多くの保護者は次のような誤解をしてしまいます。
「でも、何から始めたらいいのかわからない」という方に、まずお伝えしたいのは**「相談すること自体が第一歩」**だということです。
タツマ君のお母さんも、最初の電話相談で涙ながらにこうおっしゃいました。
「息子に笑ってほしい、それだけなんです。」
それだけで十分です。親が変わる決意をした瞬間から、状況は動き始めます。
タツマ君のお母さんが最後に語ってくれた言葉を、ここで共有します。
「見守るだけでは、子どもは変わりませんでした。勇気を出して一歩踏み出したことで、息子も私も変わりました。あの時の決断を、今では心から誇りに思っています。」
あなたのお子さんも、きっと変われます。
そして、その未来は、親御さんの一歩から始まります。
「何をしたらいいかわからない」「とにかく話を聞いてほしい」という方は、まずは無料相談をご利用ください。
引きこもりは、一人で抱え込む問題ではありません。
私たちと一緒に、一歩ずつ歩んでいきましょう。
タツマ君は、中学受験を乗り越えたにもかかわらず、中高一貫校入学後に不登校・引きこもりへと進んでしまいました。
最初は「そのうち戻れるだろう」と思っていたお母さんも、半年以上が経ち、息子が部屋にバリケードを築いて引きこもる姿を目の当たりにして、ようやく「見守るだけではいけない」と気づきました。
そして、当協会への相談を決意したことが大きな転機となりました。
支援が進むにつれて、タツマ君は少しずつ変わっていきました。
その要因は大きく3つあります。
これらが組み合わさった結果、タツマ君は一浪の末に東京6大学に進学し、
在学中には当会で学生インターンとして後輩の指導に携わるまでに成長しました。
そして最終的には、公務員として社会に貢献する道を選びました。
お母さんは支援を振り返り、こう語っています。
「変わったのは息子だけじゃなく、私自身もでした。
勇気を出して一歩踏み出したからこそ、今があります。」
引きこもりは「本人の問題」と思われがちですが、親が変わる決断をした瞬間から、子どもの未来も動き出します。
この記事を読んで、「うちも同じだ」と思われたなら、迷わず相談してください。
待てば待つほど、ステージ3から4、5へと進行し、回復には時間も労力もかかります。
あなたのお子さんも、必ず変われます。
その第一歩を、今、一緒に踏み出しましょう。