不登校を乗り越えた杉浦孝宣の実体験!竹岡養護学園がもたらした変化


私が不登校に陥ったのは、今から約60年前、小学校3年生の頃でした。保健室登校という言葉がまだなかった時代、私は「虚弱体質」とされ、学校に行けない自分をとても恥ずかしく感じていました。当時、世間では不登校や登校拒否という概念はなく、ただ「根性がない」と言われるばかりでした。そんな私が、千葉県にある竹岡養護学園に転校し、規則正しい生活を始めることになりました。学園では、普通学級では学べなかった基本的なことから学び直し、生活のリズムを取り戻しながら、少しずつ自信を取り戻していきました。今、皆さんにこの体験をお話しできることを心から嬉しく思います。

目次

アレルギー性鼻炎で不登校に陥りました

私は杉浦孝宣。生まれつき鼻が悪く、アレルギー性鼻炎に悩まされていました。寒暖の差でくしゃみが止まらず、特に小学校3年生の冬、鼻が噛みたくてしょうがない時期が続きました。そのため、最初は保健室に行くことが多くなり、やがて毎日保健室に通うようになりました。

しかし、あの時の教室は、決して安心できる場所ではありませんでした。怖い先生がいて、後ろを少しでも振り向いたり、おしゃべりをすると、カーテンレールのような棒で叩かれることもありました。その威圧的な教室の雰囲気の中で、鼻を噛むことさえできないような状況でした。

今思うと、本当の保健室登校の原因は、威圧的な教師の存在だったのだと思います。小さな子どもにとって、こうしたことを大人に話すことは非常に難しいものでした。だからこそ、この体験を悩んでいる方々に伝え、少しでも共感してもらいたいと思っています。不登校や引きこもりの背景には、本人の意志だけでなく、周囲の環境や大人たちの影響が大きいことを伝えたいのです。

私が経験したように、怖い先生や無理解な環境が、無意識に子どもを追い込んでしまうこともあります。だからこそ、同じように悩んでいる方々に、少しでも希望を持ってもらえるよう、自分の体験を共有し続けています。

不登校・引きこもりの現状

私が学齢期を過ごしていた時代と比べると、今の不登校や引きこもりの状況は大きく変わっています。確かに、当時に比べると学校に通う生徒の数は減少し、社会全体の理解も進んできたように感じます。しかし、現実は厳しく、現在では不登校の生徒数は11年連続で過去最多を更新しています。さらに、その先にある引きこもりの問題は、今や146万人を超え、深刻な社会問題となっています。

私自身、不登校という経験を持つ者として、今の子どもたちや大人たちの現状を見ていると、当時の自分の体験こそが、これらの問題に対する一つの解決策になるのではないかと強く感じます。不登校や引きこもりの克服には、どんな支援が必要で、どのように予防していくべきかを理解するために、私のように実際に不登校を乗り越えた体験が重要な示唆を与えると考えています。

私の体験を通じて、当時の状況を振り返りながら、今の社会問題をどう解決していくべきかを考えていくことが、これからの子どもたちや大人たちの未来を切り開く手助けになると思っています。

不登校の本当の原因は虐待 

私が不登校を経験したきっかけは、小学校時代に感じた不安や恐怖、そして体調不良が重なったことにあります。冒頭でもお伝えした通り、当時の教育現場は、今思うと虐待そのものでした。無理に従わせようとする教育が常に優先され、子どもたちはその中で自分の感情や体調を表現することすら許されないような状況でした。

特に、私にとっての学校は、非常に厳しい環境でした。授業中、少しでもおしゃべりをしたり、宿題を忘れてくると、先生からはすぐにげんこつで殴られたり、棒で叩かれることがありました。その罰として、廊下に水でいっぱいのバケツを持たされて、しばらく立っているよう命じられることもありました。教室は、そんな緊張感が漂う場所でした。日々の授業は、身が引き締まるような強制的なものばかりで、どれもこれも恐怖感を伴うものでした。

私自身、鼻が悪く、アレルギー性鼻炎に悩まされていたため、授業中に鼻をかむことすらできませんでした。ポケットにティッシュを入れていたにもかかわらず、授業中に鼻をかむことは許されなかったのです。もしも少しでも鼻をかむために顔を横に向けようものなら、すぐに先生の目がこちらに注がれ、恐怖を感じることになります。おそらく、これがきっかけで、私は次第に教室に行くことが辛くなり、次第に「逃げる」場所を求めるようになったのだと思います。

その「逃げる場所」として私が選んだのが、保健室でした。保健室には、先生からの罰や恐怖を避けることができ、安心して、鼻をかむことができたからです。しかし、この選択が結果的に毎日の保健室登校へと繋がり、不登校の始まりとなっていきました。

小学生という年齢で、体調不良や対人恐怖症に苦しみながら学校に通うことは、想像以上に精神的な負担が大きかったと思います。こうした状況では、私はどんどん自分を守るために学校という場所から逃げることを選ぶようになりました。その結果、学校に行かなくてもいい理由を見つけ、少しずつその状況が定着していったのです。

今振り返ってみると、私が不登校になったのは、単に体調が悪かったからではなく、学校という場が私にとって安心できる場所ではなかったからだと思います。恐怖に満ちた教室では、息をすることすら怖く感じる日々が続きました。そのため、私は早い段階で「保健室」という逃げ場を見つけ、それが私の不登校の始まりだったのです。

学校生活の苦しさ

保健室登校が日常となる中で、学校での苦しさはますます増していきました。最初は、保健室という場所が安心できる場所に思えたものの、次第にそれが自分の弱さをさらけ出す場所であることに気づき始めました。周囲の友人たちは、私が学校に来なくなっていくことに対して、次第に冷たい態度を取るようになりました。私が保健室に通うようになったことで、どうしても疎外感を感じるようになったのです。

特に、友人たちからの反応が辛かったです。私が不登校を続ける中で、友人たちからは「どうせ杉浦はできないだろう」とバカにされるようになり、その言葉が胸に突き刺さりました。彼らの冷やかしや無理解な言葉が、私の心をますます閉じ込めていったのです。そのたびに、私の自信はどんどんと失われていきました。

また、教師との関係も非常に厳しく感じました。私は運動が苦手で、特に跳び箱ができませんでした。みんなができることを私はできない、という劣等感がありました。あるとき、体育の授業で、跳び箱を飛ぶことになった際、先生は私に特別に跳び箱の高さを1つ低くしてくれました。

しかし、その先生の言葉が非常に印象に残っています。「こんな低い跳び箱でも飛べないだろう」と、先生自身が私を「できない子」と決めつけてしまったのです。その瞬間、私は本当に自分に対する自信を失いました。先生が私に期待していないと感じることが、私の心に深く影響を与え、ますます自分に対する無力感が強くなっていきました。

こうした経験が積み重なる中で、学校という場所は次第に恐怖の対象となり、私はますます学校に行けなくなっていきました。毎日、苦しみながら登校しても、友人や教師との関係がうまくいかず、次第に自分を守るために保健室に逃げることしかできなくなったのです。学校に行くこと自体が辛く、怖い場所になり、そこから逃げることが私にとっての唯一の方法となっていました。

このような状況が続くことで、私はますます自信を失い、学校という場所がどんどんと自分から遠ざかっていきました。その結果、不登校が続き、私にとって学校はただの「義務」や「恐怖」の場所になっていったのです。

竹岡養護学園への転校

私が竹岡養護学園に転校することになったのは、まさに転機となる出来事でした。小学校3年生の時、私はほぼ毎日のように保健室に通っていました。教室にいることが辛く、そして怖くて、保健室が唯一安心できる場所だったのです。そのため、私の不登校状態は学校内でも問題視されるようになり、職員会議で話し合われることとなりました。

その頃、私の周りには保健室に通っている子どもは他にいなかったため、私一人が毎日保健室に通っている状況が、教師や学校側にとっては無視できない問題として浮上してきました。学校としても、このままでは私の学業や心身の成長に悪影響を与えると感じ、何らかの解決策を見出す必要があったのでしょう。

そんな中、進級と同時に転校の話が出てきました。私自身も、保健室にいることに対して少なからず罪悪感や不安を抱えていたので、何か変化が必要だと感じていました。しかし、転校先がどこになるのか、そしてどのような学校かはほとんど知らされていませんでした。

唯一の情報は、学校からのオススメで、東京の池袋で育った私に対し、「千葉県の竹岡養護学校に転校して虚弱体質を治すように」というアドバイスを担任から受けたことでした。

両親も、教師の意見を尊重し、何の疑いもなくその方向で話を進めることに決めました。今思えば、当時はその学校のことや、どういった教育が行われているのかを深く考えたわけではなく、先生が言う通りに進めるしかないという”先生様様の時代”でした。
そのため、気づいた時には、私はすでに竹岡養護学園に転校することが決まっていたのです。

転校を告げられた時、私は複雑な気持ちを抱えていました。一方で、今の状況から抜け出すために何か新しい環境での生活を始めなければならないという気持ちもありました。しかし、千葉県竹岡という場所がどこなのか、どんな学校なのかを全く知らなかった私は、不安と期待が入り混じった気持ちでした。

当時、養護学校というのは、今のように進学の選択肢として多様化されているわけではなく、一般的に「特別支援学級」という枠組みの中での一環でした。そのため、私の転校先の養護学園も、一般的な教育環境とは異なり、規則正しい生活と体力作りが求められる場所でした。私にとっては、未知の世界でしたが、同時にそれが一度決まった以上、変わらざるを得ない現実でもありました。

両親の気持ちとしては、私が学校に通い続けることができるようになること、そして体調が改善し、普通の子どもたちと同じように成長していくことを願っての決断だったのでしょう。私はその期待に応えるために、竹岡養護学園に通うことを決心しました。

そして、まさにその日から、私の新しい生活が始まったのです。

初めての寮生活

竹岡養護学園への転校後、私の生活は大きく変わりました。何と言っても初めて経験したのは、全寮制での生活でした。それまで私は、東京の実家でおばあちゃんと一緒に暮らしており、日々の生活のほとんどをおばあちゃんが支えてくれていました。朝食や晩ご飯の支度から、布団の上げ下ろしまで、何もかもおばあちゃんがやってくれていたのです。そのため、竹岡養護学園に行ってからの寮生活は、まさに「自立」のための第一歩でした。

寮での生活は、何よりも規則正しく、決められた時間に従って過ごさなければなりませんでした。毎朝6時に起床し、6時半からは体操が始まります。この体操、いわゆる「感奮摩擦」と呼ばれるもので、体をしっかりと目覚めさせるためのものでした。最初は慣れない生活リズムに戸惑いましたが、次第にその規則正しさが体に染み込み、自然と身につくようになっていきました。夜は10時には就寝、朝は早起きという生活が、毎日繰り返されるのです。

私にとって、この寮生活で一番新鮮だったのは、すべてのことを自分でやらなければならなかったことです。布団の上げ下ろし、歯を磨くこと、顔を洗うこと、そしてご飯も自分で配膳し、場所まで取りに行かなければなりませんでした。

今考えると、実家ではおばあちゃんがすべてやってくれていたため、このような日常的な自立がどれほど大切なのかを感じることができました。

特に最初の頃、布団の上げ下ろしや食事の配膳はとても新しい体験でした。最初は自分でできるかどうか不安でしたが、次第にそれが習慣となり、やらなければならないという責任感が芽生えていきました。実家ではおばあちゃんがすべてをやってくれていたため、自分がやらなければならないことに気づくのが遅かったのです。この寮生活では、その気づきが非常に大きな成長につながったと感じています。

寮生活のメリットは、何と言っても「自立」を促すことができる点です。自分で身の回りのことをやることで、少しずつ責任感が生まれ、他人に依存するのではなく、自分の力で生活を支える力が養われていきました。これが後々、社会に出てからも大きな力となりました。

一方、デメリットもありました。最初は、他の寮生との関係に苦労したこともあります。全寮制という環境では、どうしてもプライバシーが限られ、みんなで過ごす時間が長くなるため、他の人との摩擦もありました。それに、家族と離れることがとても寂しく、時にはホームシックにかかることもありました。しかし、それらの問題も徐々に克服し、寮での生活は私にとって貴重な経験となりました。

寮生活を通じて学んだことは、自分でできることが増え、他者との協力やコミュニケーションの重要性も学んだことです。また、自分がどれだけ周囲に助けられていたのかを実感することができ、その感謝の気持ちが日々の生活に大きな影響を与えました。

この経験があったからこそ、私は自立した大人になるための第一歩を踏み出すことができました。竹岡養護学園での生活が、その後の人生にとって欠かせない土台を作ってくれたと心から感じています。

体を鍛えろ

竹岡養護学園に転校してから、私の生活は全く新しいものでした。普通学級での教育とは大きく異なり、竹岡養護学園では何よりも「体を鍛えること」が重視されていました。最初に驚いたのは、午前中のほとんどが体育だったことです。一般的な学校では、朝から授業が始まりますが、竹岡養護学園では、身体を使った活動が中心となっていました。正直言って、私は運動が得意ではなかったので、最初はかなり戸惑いと不安を感じました。

竹岡養護学園は、海に近く、川もあり、山もある自然豊かな場所に位置していました。自然の中で、私たちは川遊びをしたり、海で貝殻を拾ったり、山で昆虫を捕まえたりと、まるで体育というよりも、むしろ「リクレーション」と呼ぶほうが適切かもしれません。最初のうちは、これが本当に「体育」の一環として成立するのかと疑問に思いましたが、今思えば、このような活動こそが私たちにとって最も大切な学びの場であり、心と体を鍛える絶好のチャンスだったと感じます。

川での遊びや海での貝殻拾いは、ただ楽しいだけでなく、自然とのふれあいを通じて、体力や協調性、忍耐力を養うものでした。最初はなかなかうまくいかず、特に川遊びや山での昆虫採集では、すぐに疲れてしまったり、うまく捕まえられなかったりすることが多かったですが、少しずつ自然の中での活動に慣れていきました。それでも、最初のうちは体力的に追いつけず、周りの子どもたちが楽しんでいる様子を見て、焦りや劣等感を感じることもありました。

午後からは勉強が始まりましたが、体を動かした後の勉強はとても集中しやすく、実は今思うと、運動と勉強を交互に行うこのスタイルが非常に効果的だったと感じます。運動で疲れた体をリフレッシュさせてから勉強に臨むことで、集中力が増し、勉強にも前向きに取り組むことができたのです。これは、普通の学校の学習スタイルとは大きく異なる部分であり、竹岡養護学園の教育が私にとって非常に新鮮であり、また有益なものであったことがわかります。

最初の挫折感は、運動の面で特に強く感じましたが、それを乗り越えるために必要だったのは、何度も挑戦を繰り返すことでした。最初にうまくいかなくても、あきらめずに続けることで、少しずつ自信がついてきました。そして、体力が向上するにつれて、他の活動にも前向きに参加できるようになり、自然の中で遊ぶ楽しさも感じられるようになったのです。

今考えると、竹岡養護学園のような環境で自然と触れ合いながら、身体を動かし、精神的なリフレッシュを図りながら勉強するスタイルは、非常にバランスが取れていて素晴らしい教育だったと感じます。体力づくりと精神的な成長が密接に関わっていることを学び、私にとっては、それがその後の人生に大きな影響を与えたと実感しています。

竹岡養護学園で得た学び

竹岡養護学園で過ごした時間は、私の人生において非常に大きな意味を持っています。普通の学校とは全く異なる教育環境で、私は心身ともに成長し、学び直しをすることができました。この章では、私が竹岡養護学園で体験した特別なカリキュラムや教育プログラムについて、詳しく紹介したいと思います。

午前中の「体育」― それとも「リクリエーション」

竹岡養護学園の最も特徴的だった部分は、何と言っても午前中の時間がほとんど「体育」や「リクリエーション」として使われていたことです。普通の学校でいうところの体育の時間にあたる部分が、竹岡では身体を鍛えるだけでなく、遊びや自然と触れ合う活動が中心でした。実際に行われた活動は、単に運動をするだけでなく、心と体をリフレッシュさせることが重要視されていました。

私たちは毎日、海や川、山など自然豊かな場所で遊びながら、体を動かしていました。川で遊んだり、海で貝殻を拾ったり、山で昆虫を捕まえたりすることが、体育の一環として行われていたのです。これらの活動は、体力をつけるだけでなく、自然との触れ合いを通じて、心身を健康に保つための大切な時間でした。

このようなリクリエーション的な活動は、運動が苦手だった私にとっては初めての体験でしたが、最初の頃はうまくいかないことも多かったです。しかし、同じように楽しむ仲間たちと一緒に参加することで、少しずつ自信がつきました。最初は「体育」というものに対して抵抗感があったものの、自然の中で遊びながら学んでいくうちに、運動の楽しさや体を動かすことの大切さを実感できるようになったのです。

午後の学び直し 個別指導での徹底的なサポート

午前中のリクリエーションの後、午後からは学習の時間が始まります。普通学級では、クラスの人数が多く、1人1人に目を向けるのが難しいことがありますが、竹岡養護学園では、1クラスの人数が20名程度と少なく、教師から個別に指導を受けることができました。

この少人数制は、私にとって非常に大きなメリットでした。普通学級のように45人もの生徒が一度にいる中では、個別に学習を進めることは難しく、私が困っているところに気づいてもらうことさえ大変だったからです。

竹岡養護学園では、学び直しのカリキュラムが非常に充実していました。特に、国語や算数の基礎的な部分からやり直すことができたことは、私にとって大きな成長のきっかけとなりました。私が入学した当初、私は基本的な国語や算数の理解が十分ではなく、学習に遅れを取っていたため、まずは小学校1年生レベルのドリルを使って基礎から学び直しをしました。

私の担任だった狩野先生は、私たち生徒が「できないところ」から始めることの大切さを常に強調していました。先生は、私たちが理解できていない部分を根気よく教え、ひとつひとつ問題を解決していく手助けをしてくれました。特に、算数や国語のドリルを使って、繰り返し反復学習を行い、わからない部分を徹底的に鍛え上げていったことが印象的でした。

今でも覚えているのは、あの頃使ったドリルが短冊のように細長い形をしていたことです。あのドリルは、今でも同じようなものを使っているのだろうかと思うことがありますが、私にとっては学び直しの象徴となる存在です。狩野先生は、私たちができるようになるまで何度も教え直し、できることを少しずつ増やしていってくれました。そのおかげで、次第に自信を取り戻し、学習への不安や恐怖感が薄れていったのです。

個別指導の効果:自分のペースで学ぶことの大切さ

竹岡養護学園での学び直しは、私にとって非常に重要な経験でした。学校に通いながら、私が何よりも学んだのは「自分のペースで学ぶことの大切さ」でした。一般的な学校では、他の生徒と同じペースで学習しなければならないというプレッシャーがありましたが、竹岡では、私のペースに合わせてじっくりと学習を進めることができました。

個別指導の中で、私は自分が苦手だった部分をしっかりと見つけ出し、そこを集中的に学び直しました。例えば、算数の基本的な足し算や引き算から始め、少しずつ難易度の高い問題に挑戦していきました。国語も同様で、読み書きの基礎を学ぶところから始め、徐々に文章理解や作文のスキルを身につけることができました。

この個別指導のスタイルは、私にとって非常に効果的でした。周りの生徒と競争することなく、自分に合ったペースで学べるという安心感があったからこそ、学習に対する自信を取り戻すことができました。また、先生たちが私の進歩を見守り、少しでも理解できるようになった時には褒めてくれたことで、さらにやる気が湧き、学び続けることができました。



自信の回復

竹岡養護学園での生活を通じて、私が最も大きく変わった点は、自分の自信を取り戻したことです。普通学級での厳しい競争と大人数の中での学習では、なかなか自分のペースで学べず、常に他人と比較されることが多かったため、どうしても自信を失っていきました。しかし、竹岡養護学園では、個別指導を中心とした学び直しが行われ、私たち一人一人に目を向けて指導してもらえたことが、最初の大きな転機となりました。

この個別指導のスタイルは、私にとってまさに救いでした。普通学級では、先生一人に対して生徒が45人もいるため、どうしても自分の困っている部分を相談するのが難しかったのです。しかし竹岡では、クラスの人数が少なく、私のペースに合わせて先生が教えてくれました。最初は基礎的な国語や算数から始まり、わからないところを繰り返し教えてもらう中で、少しずつ理解できるようになりました。この小さな成功体験の積み重ねが、私の自信回復に繋がったのです。

特に大きかったのは、算数のドリルを一つずつ解けるようになったことでした。最初は「足し算もろくにできない」と感じていた私が、次第に一つひとつ問題を解けるようになり、やっと「自分でもできるんだ」という実感が湧きました。国語も同様で、読み書きの基礎から始め、最初は簡単な文章を読むことさえ難しかったのですが、だんだんと長い文章を読むことができるようになり、最終的には自分で作文を書くことができるようになったのです。

この小さな成功体験が、私にとっては非常に重要でした。できないことができるようになる、その達成感が次第に私の自信を育てていったのです。そして、この自信が、学校生活や日常生活にどれだけ大きな影響を与えるかを実感しました。

実際に、自信を持てるようになったことで、学校が少しずつ楽しくなっていきました。最初は「本当にこの学校で大丈夫だろうか?」という不安な気持ちでいっぱいだった私が、学びの楽しさや仲間との交流を感じることができるようになり、次第に不安が消えていきました。この変化は、私にとってまさに人生の転機でした。自信が持てるようになった瞬間、私は竹岡養護学園での生活が一気に楽しいものに変わったのです。

また、この自信を持つことができたのは、私一人だけでなく、クラスメイト全員が同じように感じていたことだと思います。私たちは少人数制で、先生からの個別指導を受け、互いに励まし合いながら学びました。周りのクラスメイトも同じように自分のペースで学び直しを進め、できるようになったことをお互いに喜び合うことができました。そのため、クラス全体が自信を持った状態となり、竹岡養護学園の学園生活は、私たちにとって特別な意味を持つものとなったのです。

今振り返ってみると、この「できるようになった」という小さな成功体験が、私の人生における大きな支えとなったと感じています。学び直しの中で、焦らずに自分のペースで進むことの大切さを学び、その経験が自信へと繋がり、最終的に自分を信じる力を養うことができました。


社会性の回復

竹岡養護学園で過ごした時間は、私にとって単に勉強を学び直すだけでなく、最も大きな成果を上げたのが「社会性の回復」でした。普通学級で私はしばしば馬鹿にされ、孤立感を感じていましたが、竹岡養護学園では、それとは全く異なる環境が広がっていました。

普通学級では、私のように体調不良や精神的な問題を抱えている子どもは少なく、常に「できる子」と「できない子」との違いが浮き彫りにされていました。私も、自分ができないことに対して劣等感を抱き、周囲からの冷たい視線を感じながら、日々を過ごしていました。そのため、対人恐怖症のような状態に陥り、クラスメートと積極的に関わることができませんでした。誰かと会話をすること自体が不安で、私がうまく話せるわけがないと思っていたのです。

しかし、竹岡養護学園はまったく違いました。ここには、自分と同じような経験をしている子どもたちが集まっていました。さまざまな背景を持った子どもたちが集まり、皆が何かしらの困難を抱えていることを理解し合っていたため、私は初めて自分が他人と同じように扱われることを感じました。特に、私が最も心を開くことができたのは、同年代の子どもたちとの関わりでした。

竹岡では、仲間たちと励まし合い、助け合うことで、私の心の中に少しずつ自信が芽生えました。みんなが自分と同じように何かしらの壁を乗り越えようとしていることを感じることができ、その中で傷を舐め合い、癒し合うことができました。私たちは、毎日のようにお互いに支え合いながら過ごしました。クラスメートの中には、私と同じように対人関係に苦しんでいる子や、過去に何らかのトラウマを抱えている子もいましたが、そうした子どもたちと共に過ごすことで、自然と共感し合い、心が軽くなっていったのです。

もちろん、勉強で自信を取り戻したことも大きな要因です。自分の学びが進み、できることが増えることで、次第に他の生徒とも積極的に関わろうという気持ちが湧いてきました。勉強を通じて自信を取り戻し、その自信が対人関係に良い影響を与えたのだと思います。学び直しを重ねる中で、私は少しずつ自分を表現することに対する恐怖を克服し、他の生徒とのコミュニケーションを楽しめるようになりました。

また、竹岡養護学園では、教師と生徒との距離が近く、教師も私たちの不安や悩みを理解してくれました。教師たちは私たちが社会性を回復できるよう、個別にアドバイスをくれたり、グループ活動で積極的にコミュニケーションを取る機会を作ってくれました。そのおかげで、私は自分の気持ちを他の人に伝える力を少しずつ育んでいきました。

竹岡養護学園での生活を通じて、私の社会性は確実に回復しました。自分の気持ちを素直に表現することができるようになり、他の生徒たちと積極的に関わることで、対人恐怖症も克服することができたのです。そして、このようにして得た仲間との信頼関係が、私にとってかけがえのないものとなりました。竹岡での経験は、私が今後の人生で他者とどう関わるかを大きく変えるものであり、その後の人間関係の築き方にも大きな影響を与えたのです。



教師や寮母さん、スタッフとの関係

竹岡養護学園での生活を通じて、最も大きな支えとなったのは、教師やスタッフとの関係でした。全寮制という環境では、日常生活を共に過ごすことが多く、学校の教師や寮母さんとの関わりが非常に密接になりました。このような環境では、他の学校と比べて少人数で指導を受けることができるため、一人一人に対して十分な時間をかけてもらい、きめ細かいサポートを受けることができました。

私たちのクラスは20名程度と少人数制だったため、先生方との関わりも非常に深いものでした。特に、担任の狩野先生とは、学びの場だけでなく、生活全般についても多くのことを教えていただきました。狩野先生は、私たち生徒一人一人の状況に合わせた指導をしてくれる方で、学問的なことだけでなく、生活面でもサポートをしてくれました。先生はとても親しみやすく、私たちが困っていることや悩んでいることを自然に話せるような雰囲気を作ってくれたので、私は本当に安心して相談できました。

狩野先生は、私たちができないことを責めるのではなく、できないところを一緒に学び直していこうという姿勢を持っていました。そのため、私は自分のペースで成長できると感じ、いつも前向きに取り組むことができました。先生は学びの進度を一人一人に合わせて、無理なくサポートしてくれました。そのため、最初は苦手だった科目も、狩野先生の指導のもとで少しずつ自信を持てるようになりました。先生の優しさと理解が、私にとってどれほど大きな支えとなったか、今でも強く感じています。

また、寮母さんとの関係も非常に大切でした。寮母さんは、私たちの生活全般をサポートしてくれる存在であり、しつけや生活指導を行うこともありました。当初、私は寮母さんに対して厳しさを感じることもありましたが、次第にその厳しさの中にある深い愛情に気づきました。

寮母さんは、ただ厳しくするのではなく、私たちが規則正しい生活を送ることが大切だということを心から伝えてくれていました。たとえば、毎日の生活習慣や、物事をきちんとやり遂げることを教えてくれたことで、私は自分を律する力を養うことができました。

寮母さんが私たちに接する態度は、どこか母親のような温かさがありました。最初は、厳しさが苦手でしたが、だんだんとその愛情が伝わってきました。

例えば、規則正しい生活をしなければならない時でも、「これが君たちのためだから」と優しく言ってくれたその言葉が、私の心に響きました。厳しい指導の中にも温かい思いが込められていることを理解したとき、私は寮母さんを尊敬し、信頼するようになりました。

竹岡養護学園の教師やスタッフは、私にとって単なる教育者や指導者にとどまらず、心の支えとなる存在でした。狩野先生をはじめ、寮母さんや他のスタッフとの関わりの中で、私は自分を大切にし、他者と協力することの重要さを学びました。彼らの支えがあったからこそ、私は学校生活を楽しく過ごすことができ、困難を乗り越えていくことができました。

不登校を乗り越えた杉浦孝宣の実体験!竹岡養護学園がもたらした変化

竹岡養護学園での生活は、私にとってたった半年間という短い期間ではありましたが、人生における転機となりました。最初は不安と期待が入り混じった気持ちで始めた学校生活でしたが、あの場所で過ごした時間が私にとってどれほど大きな影響を与えたのか、今でも強く感じています。竹岡での経験は、単なる勉強や生活習慣の学びにとどまらず、私の人生そのものを変える力を持っていたのです。

最も大きかったのは、学校や勉強に対する挫折感を払拭できたことです。それまでの私は、何をやっても自信が持てず、勉強に対しても不安や恐怖を感じていました。しかし、竹岡養護学園で学んだことを通じて、自分にはできることがたくさんあるという実感を得ることができました。特に、個別指導の中で基礎から学び直し、小さな成功体験を積み重ねていくうちに、勉強に対する自信がつきました。この自信が、私のその後の人生において大きな支えとなり、前に進む力を与えてくれました。

竹岡での生活が終わると、私はその後普通に中学に進学しました。自信を持って学校に通えるようになった私は、普通の子どもたちと同じように学業に取り組みました。中学生活を送る中で、私は「自分にはできる」という信念を深めていきました。

その後、中堅レベルの都立高校に進学し、そこでもまた勉強や生活に対する姿勢が変わり、周囲ともうまくやっていけるようになりました。

高校卒業後は、さらに新しい道を切り開くことを決心しました。私はカリフォルニア州の立大学、ロングビーチ校に留学することになったのです。海外での生活は、私にとって大きな挑戦でしたが、竹岡養護学園で培った自信と規則正しい生活習慣が、留学生活を支えてくれました。海外でも自分を信じ、粘り強く努力することで、無事にロングビーチ校を卒業することができました。この留学経験は、私にとって非常に価値のあるものであり、世界を広げ、視野を広げることができました。

帰国後は、家庭教師として仕事を始め、その後、学習塾を開くことになりました。家庭教師の仕事をしている中で、私は自分の経験がどれほど子どもたちに役立つのかを実感しました。特に、私が不登校を克服した経験や、竹岡養護学園で学んだことが、今度は不登校や引きこもりの子どもたちを支援する仕事に繋がったのです。学習塾を運営する中で、私は不登校の子どもたちや、高校を中退した子どもたち、引きこもりに悩む子どもたちと出会い、彼らが自信を持ち、社会に貢献できる未来を実現するためのサポートをしていきました。

私がこのように支援の仕事に携わるようになったのは、竹岡養護学園で得た「規則正しい生活をすることの重要性」や「自信を持ち自立すること」の価値観が大きな影響を与えたからです。私は、竹岡で過ごした経験を通じて、子どもたちが自分の力を信じ、社会に貢献できるようになることができると確信しています。この考え方を基にして、今の私の活動は成り立っています。

竹岡養護学園で学んだことは、単なる勉強や生活習慣だけにとどまらず、私の人生そのものを大きく変えました。自信を取り戻し、規則正しい生活を送ることの大切さを学び、それが今では多くの子どもたちに伝えられるようになっています。竹岡での学びと経験があったからこそ、私は今の自分があり、今後も多くの子どもたちに希望と未来を与えられるような支援をしていきたいと思っています。

竹岡での学びを活かす

竹岡養護学園での学びが、私にとってどれほど大きな影響を与えたかを振り返ると、最も重要なのは「規則正しい生活」だったと強く感じます。この学びこそが、私がその後の人生で自己実現を果たすための土台となり、今までの活動にも大きく影響しています。竹岡養護学園で得た「自分のペースで進みながら規則正しい生活を送ること」の重要性は、今も私の活動の中で常に訴え続けているテーマです。

竹岡で過ごした期間中、私はまず規則正しい生活を送ることから始めました。毎日の生活をしっかりと整え、時間を守り、体を動かすことによって、少しずつ自分の心と体が整っていくことを実感しました。これが私の基盤となり、その後の学びや仕事、さらに自己実現の旅においても大きな支えとなっています。自分がしっかりとした生活リズムを持ち、それに従って行動することで、どんな困難にも冷静に対処できる力が養われました。

私は今、生徒や保護者に「規則正しい生活がどれほど大切か」を常に伝えています。特に、不登校や引きこもりの子どもたちにとって、生活習慣が整っていることは非常に大きな意味を持ちます。規則正しい生活をすることで、心も体も整い、その後の学びや社会生活がスムーズに進んでいくことを実感しています。竹岡養護学園での経験が私に教えてくれたのは、規則正しい生活がどんな環境でも成功への第一歩であるということです。

さらに、竹岡で学び直しを行った経験は、私が今どのように生徒たちに向き合うかにも大きな影響を与えています。私は、勉強に自信を持つことが学校卒業の上で非常に重要であると強く感じています。竹岡養護学園での学び直しの経験を通じて、わからないことを一つ一つ理解できるようになる喜びを知りました。それは、ただ勉強をして成績を上げるということだけではなく、「できなかったことができるようになる」という自己肯定感を得ることの重要性を学びました。

私は、この学びの方法がどんな子どもにも通用するものであると信じています。私が竹岡で学んだように、生徒が「わからない」と感じる部分を徹底的に解決していくことが、学びの自信を育てる最大の方法です。竹岡では、最初はわからない部分があっても、そこを徹底的に学び直し、何度も繰り返していくことで、最終的に生徒たちは理解し、自信を持てるようになります。そのため、私は生徒に対しても、「わからないところから始めて、とことんやれば必ずできるようになる」と伝えています。実際に、私はこの方法で9割以上の生徒が結果を出すのを見てきました。

この経験があるからこそ、私は今、学習支援の仕事をしている中で、「何度でも挑戦し続ける力」を生徒たちに伝え、支援しています。勉強に自信を持つことは、ただ学業において成功するためだけではなく、自己肯定感を高め、社会に出るための大きな自信となります。この考え方は、私が今も教育現場で大切にしているものであり、竹岡で得た経験が私の中で根底にあります。

竹岡養護学園での経験を通じて、「規則正しい生活」「自信を持つこと」「繰り返し学ぶこと」の大切さを学び、それが私の自己実現のための道しるべとなっています。これからも、この学びを多くの子どもたちに伝えていくことで、彼らの未来を支える力になりたいと考えています。竹岡で得た基礎があったからこそ、私は今、教育の現場で子どもたちに希望を与え、未来を切り開く手助けができることに自信を持っています。

社会人のスタートは家庭教師

竹岡養護学園を卒業した後、私は最初の一歩として社会に溶け込むために家庭教師の仕事を始めました。社会に出るということは、私にとって非常に大きな挑戦でした。養護学園での生活は支援の手厚い環境であり、社会との接点が少ない中での過ごし方が中心でした。しかし、家庭教師という仕事を通じて、私はようやく社会とのつながりを感じ、そこから自分を社会に適応させていくことができました。

家庭教師を始めた当初は、どのように生徒に接するか、どのように学習を進めていくのか、正直言ってまったく分かりませんでした。誰からもそのやり方を教えてもらえなかったからです。しかし、竹岡養護学園で学んだことを生徒に教えることで、私は自分のやり方を見つけていきました。竹岡で学んだ「できるところから始めて、少しずつ積み重ねる」という方法を、家庭教師の仕事に生かしました。

その結果、最初は学習に苦しんでいた生徒たちも、次第に成果を上げていきました。特に、私が担当した生徒の中には、非常に学習に苦しんでいた子がいましたが、その子も竹岡で学んだように、少しずつ自信を持ち、学びを進めることができました。最初は理解が追いつかなかった内容も、繰り返し教え、焦らずに一歩ずつ進めることで、最終的にはその子も学習を習得することができました。

また、私は兄弟で不登校気味だった子どもたちを担当したことがあります。彼らは、学校に行けなくなり、学習にも全く興味を持てない状態でした。しかし、私のアプローチは竹岡養護学園で学んだものと同じように、無理に学びを進めるのではなく、まずは生活のリズムを整えることから始めました。そして、規則正しい生活と少しずつの学習を通じて、彼らは学習への自信を取り戻していきました。結果として、その兄弟2人は、どちらもそれぞれの目標を達成し、慶應大学や山梨大学医学部に合格することができました。私はこの経験を通じて、「自信を持たせること」がどれほど大切かを改めて実感しました。

家庭教師としての経験は、私にとって社会復帰の大きな一歩となりました。社会に出ることで、学びを他の人に伝える力を養い、そして自分自身が成長する機会を得ることができたのです。最初は不安でしたが、竹岡で学んだことを実践しながら、一つ一つ成長していく過程は、私にとって非常に充実したものでした。この経験があったからこそ、今も自信を持って子どもたちを支援することができています。

不登校支援の重要性と竹岡養護学園の役割

現代において、不登校や引きこもりは深刻な社会問題となっており、その解決には早期の支援が不可欠です。特に、現在の不登校支援においては、根本的な解決策を講じることなく、表面的な対処に終始しているケースが少なくありません。

例えば、文部科学省は「不登校は見守りましょう」といった論を展開していますが、これは根拠がなく、具体的な解決策に繋がっていないのが現実です。また、不登校支援の重要な柱である教育支援センターも、基本的に「登校」を前提とした支援を行っており、結果として不登校の子どもたちが抱える根本的な課題を回避しているのではないかと感じています。

実際、学校に行けないという問題は非常に多様な要因が絡んでいます。単純に学校に行けるようにするだけでは根本的な解決には至りません。教育支援センターが提供する支援は、どうしても「登校」を最終的な目標としてしまい、登校できない理由に向き合う前にその課題を回避しているのです。しかし、学校に行けないという状態が続けば、当然その先には引きこもりという問題が待っていることになります。そのため、早期に適切な支援を行うことが、引きこもりを防ぐためにも極めて重要なのです。

私自身が60年前に体験した竹岡養護学園での経験を通じて、不登校問題の解決には、ただ見守るだけでなく、実際に規則正しい生活を促すことが重要であると強く感じています。竹岡養護学園では、公費を使って子どもたちに規則正しい生活を送らせ、学びを直しを補償することを実践していました。このように、体力を養い、生活のリズムを整えながら学び直すことで、私自身が不登校から脱却できた経験があります。これは、現在の不登校問題を解決するための有効なアプローチだと信じています。

不登校を解決するためには、学齢期の子どもたちに対して適切な支援を早期に行い、学校に通うことができるようにすることが最も効果的だと考えています。その後の引きこもりの予防にも繋がると確信しています。竹岡養護学園での経験を通じて、規則正しい生活と学び直しを提供することが、どれほど不登校の解決に効果的かを実感しました。この方法を広く普及させることで、未来の不登校や引きこもりの子どもたちに希望を与えることができると思います。

私は、今後も不登校の子どもたちに対して、竹岡養護学園で学んだような支援を提供し、規則正しい生活を促すことが最も重要であるという信念を持ち続けます。早期の適切な支援を行うことで、不登校の子どもたちが自信を持ち、自立して社会に貢献できる未来を切り開く手助けができると確信しています。

竹岡養護学園は廃園。同様な考えで不登校を解決します

竹岡養護学園は、残念ながら現在は存在しません。私が通っていた時代、竹岡養護学園は、虚弱体質の子どもたちの体力を回復させることを目的とした学校でした。もともと、学校の設立趣旨は、身体的に弱い子どもたちを支援し、規則正しい生活を送ることで心身の回復を目指すものでした。しかし、不登校対応を主眼とした施設ではなかったため、時代の変化に伴ってその役割がなくなり、最終的に廃園となってしまいました。

さらに、同様の施設は東京をはじめ、全国的にほとんど存在しなくなりました。これにより、不登校や引きこもりに悩む子どもたちが支援を受けられる場所が減少してしまったことは、大変残念なことです。私にとって、竹岡養護学園での経験は、人生の中で非常に重要なものであり、その価値を今でも感じています。そのため、竹岡養護学園のような教育環境を提供することの重要性を痛感しています。

私が現在活動している一般社団法人不登校引きこもり予防協会と、創業した高卒支援会では、竹岡養護学園のような規則正しい生活を促す活動を続けています。竹岡養護学園で学んだように、生活習慣の改善を基盤にした支援を行うことは、今の不登校や引きこもりの問題を解決するために非常に効果的だと信じています。

私たちが提供しているプログラムは、規則正しい生活を促進する生活改善合宿や、全寮制の環境を活かした海外留学などを含んでいます。これらは、竹岡養護学園が行っていたような、体力を回復させ、精神的にも自立できるようにサポートするプログラムです。さらに、学び直しを通じて、子どもたちに自信を取り戻させ、社会で活躍する力を育むことを目指しています。

竹岡養護学園が提供していた「規則正しい生活」を土台にした支援は、今も多くの子どもたちにとって必要なものだと強く感じています。残念ながら、竹岡養護学園は閉校してしまいましたが、その理念を引き継ぎ、現代の不登校・引きこもり問題に向き合うための支援を提供しているのが、私たちの活動の根幹です。


一般社団法人不登校・引きこもり予防協会は、40年前より 「子どもたちが規則正しい生活をし、自信を持ち、自律し、社会に貢献する未来を実現する」という教育ミッションを掲げ、不登校やひきこもりという問題に積極的に取り組み、
1万人以上の子供たちをサポートしてきました。

このミッションを達成するため、私たちは以下の3つのステップに基づいたプログラムを展開しています。

不登校、引きこもりの未来を変える3つのステップ|

  • 規則正しい生活をする 不登校合宿、学生寮、海外留学を通して生活習慣を整えます。
  • 自律して自信をつける 学び直しを通じて学習に対する自信を育みます。
  • 社会貢献をする 職に就くことを最終目標に、アルバイトやインターンを体験させます

これらのステップを実践し、1万人以上の子どもたちが変わり、成功率は9割以上を誇ります。

こうした活動はNHK「おはよう日本」 プレジデントオンライン Youtube pivotでは前編後編 30万超再生回数 多くの親御さんに希望を届けました。

この経験をまとめた4冊の著書

不登校・ひきこもり急増 コロナショックの
支援の現場から
(光文社新書) 

不登校・ひきこもりの9割は治せる 1万人を立ち直らせてきた3つのステップ(光文社新書) 

もう悩まない!不登校・ひきこもりの9割は解決できる(実務教育出版)

高校中退 不登校でも引きこもりでもやり直せる!(宝島社新書) 

加えて成功事例が満載のリンク集を参考にしていただきたいと思います。当会のミッションに共感し、真剣にお子さんの不登校や引きこもりを解決したい方、ぜひ私たちと一緒に取り組みましょう。一緒にお子さんの未来を輝ける人生に切り開いていきましょう!時間は待ってくれません。不安を感じたその時が、解決への第一歩を踏み出すチャンスです。私たちと一緒にお子さんの未来を守りましょう!

不登校支援のキッカケは中卒浪人の支援

私が支援活動を始めたきっかけは、自分の経験を社会に還元したいという強い思いからでした。特に、家庭教師を始めた頃は、時代背景も相まって、非常に厳しい受験戦争が繰り広げられていました。団塊ジュニア世代が受験を迎え、競争は一層激化していました。

受験に失敗したときの精神的なプレッシャーやストレスは非常に大きく、実際に受験で失敗したことで自ら命を絶つという痛ましい事件が続出していました。この状況を目の当たりにした私は、自分がどのようにすれば、少しでもこのような悲劇を防げるのか、真剣に考えるようになりました。

40年前、高校進学に関しても、当時は進学希望者が多く、進学できないことに対する絶望感や社会的な格差も深刻な問題として私の中で大きく取り上げられました。そのような中、私は「高校受験に失敗して、どこも行くところがない子ども中卒浪人に出会いました。

私はその中卒浪人を1年遅れで鳥栖高校に進学することができました。このことが、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。「 中卒浪人、春を呼ぶ先生」と マスコミにとりあげられました。

家庭教師としての仕事を辞め、さらに大きな範囲で支援を行うために、学習塾やフリースクール、通信制高校のサポート校などを経営することを決意しました。

癌を患い、諦めた人生でしたが、「やり残したことがある」で復活しました

7年前、私は希少癌を患い、もう自分の人生は終わったと思いました。その時、私は創業した高卒支援会を若手後継者にバトンタッチしました。しかし、その後、奇跡的に完全に回復しました。治療を受けながらも、その時に感じたのは「やり残したことがある」という強い思いでした。そして、私がその時に思い描いたのが「不登校の解決」と「引きこもりの予防」でした。

不登校や引きこもりに悩む子どもたちの未来を変えることが、私のこれからの人生で最も重要な使命であると感じました。これまでの経験を通じて、「子どもたちが規則正しい生活をし、自信を持ち、自律し、社会に貢献する未来を実現する」という教育ミッションを掲げ、この理念を日本全国に広めるために活動を続けています。

私のビジョンは、不登校や引きこもりを解決し、予防するための支援を提供することです。子どもたちが自信を取り戻し、自分の力で社会に貢献できるようになるためには、まずは規則正しい生活を送ることが基本です。これが、子どもたちが未来を切り開くための土台となります。そのために、生活改善合宿や、学び直しを支援するプログラムを提供しています。

私の夢は、全国の子どもたちに「規則正しい生活」を促し、それを通じて自信を持って社会に出て行けるよう支援することです。子どもたちが自分の可能性を信じ、社会に貢献できるようになるために、私たちの支援が必要です。そして、このミッションを広めることで、より多くの子どもたちの未来を切り開いていきたいと考えています。

現在、私は不登校や引きこもりの問題に取り組みながら、同じ目標を持つ多くの仲間とともに活動をしています。これからも、自分の経験を生かし、子どもたちが安心して学び、成長できる場を提供し続けることを目指しています。

具体的な不登校、引きこもり支援方法

私たちの支援活動では、不登校や引きこもりに悩む子どもたちに対して、様々な支援方法を実践しています。最も重要なのは、「一人ひとりに合った支援」を行うことです。具体的な支援方法として、家庭訪問支援やピアサポート、生活改善合宿、学び直しのプログラムなどがあります。それぞれの方法がどのように機能しているのか、詳細にご紹介します。

家庭訪問支援

家庭訪問支援は、私たちの支援活動の中でも非常に大きな役割を担っています。家庭訪問では、子どもとその家庭の状況を直接把握し、家庭内でどのような支援が必要かを確認することができます。子どもたちは家にこもりがちな状況であることが多いため、家庭の外に出ること自体が大きな一歩です。訪問時には、まず子どもが安心して話せる環境を作り、その子が抱えている不安や悩みをじっくりと聞きます。

家庭訪問を通じて、親子間でのコミュニケーションが改善され、支援の方向性が見えてきます。また、保護者に対しても、子どもの気持ちを理解し、適切にサポートするためのアドバイスを行います。家庭でできる簡単な生活改善のアドバイスを実施することで、子どもたちは少しずつ生活リズムを取り戻し、社会復帰に向けた第一歩を踏み出すことができます。

ピアサポート

ピアサポートは、同年代の子どもたち同士がサポートし合う仕組みです。私たちは、過去に不登校や引きこもりを経験した子どもたちを「ピアサポーター」として活用しています。ピアサポーターは、同じような悩みを抱えていた経験があるため、支援を受けている子どもたちにとって非常に心強い存在です。ピアサポートの最大の強みは、同じ立場の子どもがサポートしているため、共感を得やすく、信頼関係が築きやすい点です。

ピアサポートは、定期的に行われるグループ活動や個別のサポートを通じて、子どもたちが自分のペースで少しずつ社会に戻る力を養うことができます。ピアサポーターは、学習や生活のサポートだけでなく、心のケアにも重点を置きます。時には一緒にゲームをしたり、趣味を共有することで、子どもたちが社会性を回復する手助けをしています。

生活改善合宿

生活改善合宿は、特に生活リズムを整えるために非常に効果的なプログラムです。この合宿では、参加者が規則正しい生活を送り、体力をつけ、自己管理能力を高めることを目的としています。朝6時に起床し、決められた時間に食事をとり、運動や勉強を行うという、非常に規律正しい生活が送られます。

生活改善合宿では、参加者が生活のリズムを整えることで、心身の健康を取り戻し、社会生活に対する自信を持つことができるようになります。合宿終了後、参加者は改善された生活習慣を日常に戻し、徐々に社会に出る準備が整います。私たちは、参加者が合宿を通じて得た成果を実生活に生かせるよう、フォローアップを行っています。

学び直しプログラム

学び直しプログラムでは、学習に対する自信を回復するための支援を行っています。不登校や引きこもりの子どもたちは、学校に通えなかった期間が長いため、学力に不安を抱えていることが多いです。そのため、私たちは個別指導を中心に、子ども一人一人のペースに合わせて学び直しを行います。

学び直しプログラムでは、基礎的な学力をしっかりと復習し、わからない部分を一つ一つ解決していきます。子どもたちが自信を持って学び進めるように、無理なく段階的に学習を進めることが大切です。また、学び直しの中で得られる成功体験は、子どもたちにとって大きな自信となり、社会復帰への第一歩を踏み出す力になります。

保護者へのメッセージ

不登校や引きこもりの子どもを持つ親御さんにとって、日々の支援や対応は非常に大きな悩みの種であると思います。私がこれまでに相談を受けてきた件数は、年間700件以上に上ります。そのほとんどが長期不登校や引きこもりに関する相談であり、子どもたちが抱える問題は深刻で複雑なことが多いです。しかし、私は多くの事例を通じて、保護者としてできる支援方法がいくつかあることを確信しています。

親のコーチングを通じて家庭内の支援を強化する

不登校や引きこもりの子どもたちに対して、最も重要なのは家庭内での支援です。子どもたちは家にいる時間が長く、家庭の影響を大きく受けます。そのため、親御さんの考え方や行動、しつけの方法が子どもたちにとって大きな意味を持ちます。親がどのように接し、どのようなサポートをしていくかが、子どもたちの回復に大きく影響します。

私はご両親に対してコーチングを行い、家族全体で子どもを支える方法を伝えています。親御さんが自信を持って子どもと接することができるよう、具体的な方法をお伝えし、親子間のコミュニケーションを改善することが重要です。家庭内でのしつけや教育方針が一致し、親と子が同じ方向を向いて支援を進めることが、子どもたちの心の安定を生むのです。

親御さんが子どもに対してどのような態度を取るべきか、どのように感情をコントロールして接するべきかを学ぶことで、家庭内の環境が劇的に改善されることがあります。私のコーチングでは、保護者が子どもの気持ちに寄り添い、理解を示しながら、適切な支援を行うための具体的な方法をお伝えしています。

ご両親の教育方針を一致させる

不登校や引きこもりの問題に取り組む際、最も重要なのは、家庭内での教育方針が一致することです。親同士の考え方が食い違っていると、子どもはそのことに気づき、混乱してしまうことがあります。教育方針が一致していないと、子どもにとっては不安定な状態が続き、改善が難しくなります。

そのため、私はご両親に対して、お互いの考えや方針を共有し、子どもに対する一貫した対応を心がけるようアドバイスしています。親同士がしっかりとコミュニケーションを取ることで、子どもにとって安定した環境が作られます。教育方針が一致している家庭は、子どもにとって非常に安心できる場所となり、その安心感が心の回復に繋がります。

メール相談とZOOM面談

私は、メール相談やZOOM面談を通じて、遠隔でも保護者と連絡を取り合い、必要なサポートを提供しています。これらの方法は、忙しいご両親が自宅で簡単に相談できる手段として非常に有効です。特に、遠隔地にお住まいの方や時間が限られている方々にとって、これらのサポート方法は非常に便利で、継続的に支援を受けることができます。

メール相談では、悩んでいる内容や質問をお寄せいただき、それに対して具体的なアドバイスや対応方法をお伝えします。ZOOM面談では、リアルタイムで親御さんと直接コミュニケーションを取りながら、状況に応じた支援を行います。どちらの方法でも、親御さんが自信を持って子どもに接するための具体的な方法をお伝えし、安心して支援を進められるようにサポートしています。

親の心のケアも大切

不登校や引きこもりの問題に取り組む保護者自身が抱えるストレスや不安も大きな問題です。親御さんが心のケアをおろそかにしてしまうと、子どもへの支援がうまくいかないことがあります。そのため、私は保護者自身の心のケアも大切だと考えています。親御さんが自分自身を大切にし、心の余裕を持つことで、子どもたちに対してより効果的な支援ができるようになります。

私たちの支援は、単に子どもだけでなく、保護者の心のケアにも焦点を当てています。保護者が前向きに支援を続けられるよう、励ましやアドバイスを提供し、親子ともに元気を取り戻せるようにサポートしています。

積極的な支援アドバイスと、家庭の役割について

当協会で最も多く寄せられる相談の一つが、「様子を見ましょう」とカウンセラーに言われ、その結果、子どもが引きこもりになってしまったというケースです。このような状況は非常に多く、いわゆる「腫れ物を触るように」放置してしまっている家庭が少なくありません。しかし、私からすると、不登校や引きこもりの子どもに対して必要なのは、放置ではなく、むしろ普通の日常の中で声をかけ、コミュニケーションを取ることです。

子どもたちは、安心できる居場所があることで、心を開きやすくなります。そのためには、まず家庭内で「普通の関わり」を大切にしてほしいと思います。例えば、「ご飯だよ」と声をかけたり、「お風呂に入らないとだめだよ」と優しく伝えたりすることで、少しずつ子どもたちの心に寄り添うことができます。子どもが引きこもりや不登校の状態にあるとき、過度に心配したり、何もせずに放置することは、どちらも逆効果です。子どもが無理なく心を開ける環境を作ることこそが、心のケアの第一歩だと思います。

「普通に接する」というアドバイスは、実は非常に重要です。大きな変化を与える必要はありませんが、小さな声掛けや日常的なやり取りが、子どもの心に大きな影響を与えます。無理に大きな解決策を講じようとするのではなく、まずは家庭内での安心感を作り出すことが、心のケアに繋がります。そして、その中で子どもたちが自分を表現することができるよう、見守り続けることが大切です。

また、家庭の役割として非常に重要なのは、子どもにとって「居場所」を提供することです。引きこもりの子どもたちは、社会とのつながりが薄れがちですが、家庭がそのつながりを作り出す場になれば、少しずつ回復への道が開かれます。家庭内での温かい接し方や、安心できる環境を整えることで、子どもたちは自分のペースで社会との関わりを再構築することができます。

私が提供しているアドバイスの基本は、「無理に変えようとしない」「子どものペースを尊重する」「日常の中でのコミュニケーションを大切にする」といった点です。このように、日常の中での小さなサポートが、子どもたちにとって大きな支えとなり、最終的に自立に繋がるのです。

親としての心のケアも非常に重要です。子どもが引きこもっていると、親も一緒に悩んでしまうことが多く、親自身の心のケアも欠かせません。親がストレスを抱えていると、そのエネルギーが子どもにも伝わり、回復が遅れることがあります。だからこそ、親自身も自分の心を大切にし、必要ならば支援を受けることが重要です。親子ともに心のケアを行いながら、少しずつ前進していくことが、最終的に子どもを助けることに繋がります。

どんなに長期間の引きこもりであっても、必ず道は開ける

不登校や引きこもりは決して終わりの兆しではなく、むしろ新たなスタートを切るための第一歩であると確信しています。多くの事例を通じて、私たちは「どんなに長期間の引きこもりであっても、必ず道は開ける」というメッセージをお届けしています。実際に、不登校から社会復帰を果たし、自信を取り戻していった子どもたちの成功事例は、希望の象徴です。

1. Y子さんの事例:10年引きこもりから公務員へ

Y子さんは中学2年から不登校を経験し、その後10年間引きこもり生活を送っていました。24歳で私たちに相談に来た際、私たちは学び直しとアルバイトを始める支援を行い、27歳で通信制高校を卒業。その後、保育士の資格を取得し、現在は公務員として活躍しています。彼女の成功は、引きこもりからの再スタートが可能であることを示しています。

2. カイト君の事例:自衛隊での新たな活躍

カイト君は中学1年のゴールデンウィーク明けから不登校となり、完全に引きこもりの状態に入りました。しかし、7ヶ月間の支援の後、自分からフリースクールに通い、通信制高校へ進学。2023年3月に卒業し、現在は自衛隊で充実した毎日を送っています。彼の努力と、私たちの支援が彼の自立を促しました。

3. カズキ君の事例:公務員として再出発

カズキ君は中学受験で入学した私立校で成績不振となり、家庭内暴力を引き起こすようになりました。しかし、私たちが提供した適切な居場所で彼の状況は改善し、通信制高校に転校。その後、都内の区役所で公務員として活躍しています。彼の事例は、適切な支援があれば、どんな状況からでも再出発できることを証明しています。

4. リョウタ君の事例:航空自衛隊への挑戦

リョウタ君は学校を休みがちになり、完全に不登校に陥った後、家庭訪問支援を受けることになりました。後に通信制高校に転校し、航空自衛隊に入隊しました。彼は、支援を受けた結果、自信を取り戻し、目標に向かって前進しています。

5. タツマ君の事例:難関大学を卒業し公務員へ

タツマ君は中学1年から不登校となり、最初は放置されていたものの、家庭内での支援と適切な方向転換を行った結果、通信制高校を卒業。彼はその後、難関大学に進学し、現在は公務員として活躍しています。タツマ君の成功は、どんな困難な状況でも支援と努力で未来を切り開けることを示しています。

6. 佐藤渉太君の事例:農業大学進学を果たした道

佐藤渉太君は、高校時代に極度の疲弊と不安から不登校になり、その後引きこもりの状態が続きました。しかし、家庭訪問支援を受け、通信制高校に進学。その後、農業大学への進学を果たしました。彼は、支援を受けることで自信を取り戻し、未来を切り開く力を手に入れました。

7. シュン君の事例:自衛隊に進む決意

シュン君は昼夜逆転の生活とゲーム依存から抜け出せず、引きこもりの状態に陥っていましたが、アウトリーチ支援と生活改善合宿を経て、最終的には自衛隊に進む決意を固めました。彼は、「働きたくない」と悩んでいた時期を経て、自分の力で前進する姿勢を身につけ、今では立派な自衛隊員として活躍しています。

8. W君の事例:美大合格から自衛隊まで

W君は引きこもりから美大合格に至るまで、何度も挫折を乗り越えました。家で過ごす時間が長くなり、状況は厳しくなりましたが、継続的な支援と家業の手伝いを通じて自信を取り戻し、最終的には自衛隊に進みました。彼の事例は、引きこもりから立ち直り、自己実現に至る過程を教えてくれます。

9. エイタ君の事例:国際経験から自己実現

エイタ君は中学受験後、不登校になり、最終的に引きこもりステージ3に進行。しかし、家庭訪問支援とピアサポートを通じて、彼は信頼関係を築き直し、最終的にカナダ留学を経験。今では工学院大学に入学し、未来に向けて確かな一歩を踏み出しました。

10. G君の事例:美大合格の挑戦

8ヶ月間引きこもったG君は、ゲーム依存と過度のストレスで不登校になりましたが、フリースクールでの生活を経て、美大合格を果たしました。彼は自分のペースで進む中で学び直し、最終的に目標を達成しました。


未来へ向けた希望の道

これらの成功事例からわかることは、引きこもりや不登校が決して終わりを意味しないことです。むしろ、適切な支援を受けることで、どんな困難も乗り越え、社会に出て活躍することができるという希望があります。私たちはこれからも、支援を必要としているすべての子どもたちに手を差し伸べ、未来を切り開くサポートを続けていきます。 成功事例の詳細はこちら

どんなに長く引きこもっていても、どんなに遠く感じる道のりでも、支援を受けることで未来は必ず開けます。希望を捨てず、共に歩んでいきましょう。

未来への展望 今後、どのようにして不登校や引きこもりの子どもたちを支援していくのか

不登校や引きこもりの問題は、依然として社会の中で大きな課題となっています。私の活動は、これまでの経験を通じて積み重ねてきた支援方法をさらに広げ、より多くの子どもたちに希望を与えることを目指しています。今後、私の活動はさらに進化し、不登校や引きこもりの子どもたちが自信を持ち、社会に貢献できるようになるための支援を強化していきます。

より広範囲な支援体制の構築

これからの支援活動で最も大切にしたいのは、地域社会全体で不登校や引きこもりの子どもたちを支える体制を作り上げることです。現在、私は家庭教師や学習塾、フリースクール、通信制高校のサポート校など、様々な支援方法を提供していますが、今後はこれらの支援をさらに充実させ、もっと多くの地域でアクセスできるようにしたいと考えています。

地域ごとのニーズに応じた支援体制を整えることで、より身近な場所で、より効率的に支援が行えるようになります。地方に住んでいる家庭でも、私たちの支援を受けやすくするために、オンラインプログラムやリモート学習などの技術も積極的に取り入れていきます。これにより、全国どこでも、地域や環境に関わらず支援を受けられるようになることを目指しています。

規則正しい生活を促す支援の強化

私がこれまでの支援活動の中で最も重要だと感じているのは、規則正しい生活を送ることです。子どもたちが自信を持ち、社会復帰に向けて一歩を踏み出すためには、まず生活リズムを整えることが不可欠です。これからも、生活改善合宿やワークショップを通じて、規則正しい生活を支援するプログラムを強化していきます。

規則正しい生活を身につけることは、ただ単に健康を保つためだけではありません。それは、心と体の安定をもたらし、社会に出る準備を整えるための基盤となります。私たちは、子どもたちが安心して過ごせる環境を提供し、その中で少しずつ社会との接点を持つことを目指します。

生活改善と学び直しの連携

引きこもりや不登校からの回復には、学び直しが非常に重要です。しかし、学び直しはただ単に知識を教えることだけではなく、自己肯定感や自信を取り戻す過程でもあります。私はこれからも、学び直しのプログラムを強化し、子どもたちが自分のペースで学びを進められるような環境を整えていきます。

また、学び直しと生活改善は相互に影響し合うものです。規則正しい生活を送ることが、学習における集中力や成績向上に繋がりますし、学びを通じて得られる成功体験が、子どもたちの自信をさらに深めるのです。このように、生活改善と学び直しを連携させた支援を行い、子どもたちが社会復帰するための確かな基盤を作っていきます。

ピアサポートとコミュニティづくりの促進

ピアサポートは、同じ悩みを持つ子どもたち同士が支え合い、励まし合うことで回復を早める非常に有効な方法です。これからも、ピアサポートを支援するためのプログラムを強化し、子どもたちが互いに助け合いながら成長できる環境を提供していきます。

また、ピアサポートを通じて形成されるコミュニティは、子どもたちが自分を大切にし、他者とのつながりを大切にするための貴重な場所です。子どもたちが安心して自己表現をできる場を提供し、社会との関わりを取り戻す手助けをしていきます。

未来を見据えた支援の拡大

最終的には、私たちの支援活動がさらに広がり、不登校や引きこもりに悩む子どもたちが、必要な支援をどこにいても受けられる社会を作りたいと考えています。支援の手が届かない場所はもう存在しないようにしたいと強く願っています。全ての子どもたちが自分のペースで前進し、再び社会と繋がり、自信を持って生きることができるよう、より多くのプログラムや支援ネットワークを拡充していきます。

これからも、私は多くの支援者と手を取り合い、子どもたちが抱える悩みや課題に対して共に向き合っていきます。支援が適切に行われることで、不登校や引きこもりの子どもたちが社会復帰を果たし、自分らしく生きる力を身につけることができると信じています。そのために必要な活動やプログラムを提供し続けることが、私の使命であり、今後もその努力を惜しまない所存です。

また、私たちの活動がより広がるためには、国や地方自治体との連携が不可欠です。政府が子どもたちの未来を支えるためにどのような政策を取るべきかについても、私たちは積極的に提言を行い、支援体制を強化していきます。もしご興味があれば、私たちが行っている「不登校・引きこもり対策」の国への提言についてもお読みいただけますので、ぜひご一読ください。

私たちは、支援が必要なすべての子どもたちに希望と未来を提供し、彼らが自信を持って社会で活躍できるようサポートし続けます。

▶︎再生回数30万回超 前編・後編!YouTube番組「#Pivot」

中学受験を頑張り抜き、晴れて中高一貫の私立校に進学したわが子——
順調に見えていたのに、ゴールデンウィーク明けに突然「学校に行きたくない」と言い出す…。
そんなご相談が、今まさに急増しています。

私・杉浦孝宣が出演した教育系YouTube番組「#pivot」では、
「中高一貫校進学後に不登校になった」というリアルな事例が多く寄せられ、大きな反響を呼びました。

▼【前編】不登校・引きこもりは9割解決できる!
スマホ・ゲーム依存対策/「見守り=放置」の落とし穴/重症度チェック付き
▶️ https://youtu.be/UjT1xHGcLO0?si=b8wo9Bu4CiqgQqh4

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