「自分の不登校が原点でした」小3で学校に行けなかった私の今と支援の形

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「もう一度、前を向けそうです」——講演参加者の声から始めます

2025年7月19日、新宿NPO協働推進センターにて開催された講演会。
この動画『自分の不登校が原点でした』は、その場で収録された記録映像です。

不登校・引きこもりで悩む親御さんたちが全国から集まり、
「何から始めたらいいかわからなかったけど、やるべきことが見えた」
「もう少しだけ頑張ってみよう、と思えた」
そんな声が多数寄せられました。

本記事では、私・杉浦孝宣自身の「小3での不登校体験」から始まる支援の原点をたどりながら、
不登校や引きこもりに悩むご家庭に届けたい“支援の形”をお伝えします。

自分の不登校が原点でした|小3で学校に行けなかった私が、いま子どもたちを支援する理由

「うちの子、また今日も学校に行けなかったんです…」
「何を言っても響かない、親としてどうしたらいいか分からない」

そんな思いを抱えて、このブログに辿りつかれた方もいらっしゃるかもしれません。

私、杉浦孝宣は、今でこそ1万人以上の子どもたちを支援してきた「引きこもり予防士」として活動していますが、実は小学3年生のとき、自分自身が不登校になった子どもでした。


「鼻をかんだだけ」で不登校になった——当時のリアル

今から60年前、小学3年だった私は、アレルギー性鼻炎で常に鼻がむずむずしている子どもでした。寒暖差で症状が悪化する冬のある日、授業中に鼻水がたらたら垂れてしまい、持っていたティッシュでそっと鼻をかんだ——その瞬間、クラス中の視線が集まりました。

「杉浦、きったねえー!!」
「先生ー!杉浦が変な音出した!」

そんな些細な出来事がきっかけで、私は教室という場所に居場所を失いました

当時の学校は45人学級、背筋をピンと伸ばし、話を聞けないとゲンコツが飛んでくるような時代。今でいう「体罰」や「集団圧力」が日常的に存在していたのです。


私を救ったのは、「寮」という生活改善の場

その後、私は千葉県にある竹岡養護学園という全寮制の支援施設に入ることになりました。

ここでの生活は、まさに「規則正しい生活」「自信と自律の回復」そのものでした。

  • 毎朝決まった時間に起きる
  • 皆と一緒にご飯を食べる
  • 体を動かし、自然の中で学ぶ
  • 周囲の大人や仲間との信頼関係を築く

この環境が、私の「人生のターニングポイント」になったのです。


支援者としての原点と、いまの活動

その後、私は高校を卒業し、アメリカ留学を経て、帰国後は家庭教師をしながら不登校の兄弟に関わることになります。

そして、「家庭での関わり方」と「環境の整え方」がどれほど重要かを肌で感じました。そこから40年以上、不登校・引きこもりの子どもたちとご家族の支援に人生を注いできました。

現在、私たちは次のような支援を行っています:


【7つの支援ステップ】で、子どもと家庭を再構築

私たちの支援は、一律ではありません。一人ひとりの状況や家庭の状態に合わせて、「7つの支援ステップ」を柔軟に組み立てます。

🟢 STEP1:ステージ判定|まず“今の状態”を見極める
🟡 STEP2:親のためのコーチング|家庭の関わり方を変える
🔵 STEP3:家庭訪問支援|家から出られない子どもと関係を築く
🟣 STEP4:生活改善合宿・学生寮|リズムを整え、自信を回復
🟤 STEP5:学び直し支援|通信制高校・サポート校での再スタート
🔴 STEP6:アルバイト・インターン|社会との接点をつくる
🟠 STEP7:社会貢献・自律支援|就職・進学・公務員などへ


「うちの子も変われるかもしれない」と思ってほしい

動画の中でも語っていますが、私が伝えたいのは次のことです。

「どんなに深い引きこもりでも、適切な支援があれば変われます」

不登校や引きこもりを「恥ずかしいこと」「家庭の失敗」と感じてしまう方もいるかもしれません。でも、私自身が不登校だったからこそ、今の活動があります

今、全国で同じように悩み、苦しむ親子がたくさんいます。その一人ひとりに、「あなたは一人じゃない」と伝えたい。

▼この動画は、実は講演会の記録映像です

この動画『自分の不登校が原点でした』は、
2025年7月19日、新宿NPO協働推進センターで開催された講演会での内容を収録したものです。

当日は、全国から多くの保護者の方々がご参加くださり、定員を超える熱気の中で開催されました。
私自身の不登校経験から始まり、支援活動に至るまでの歩み、そして「子どもが変わる瞬間」について、実例を交えてお話しさせていただきました。

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