非認知能力を伸ばす環境とは?見守るだけでは変わらない子の自律


不登校や引きこもりでお悩みの保護者の方々、そして日々「これでいいのだろうか」と葛藤しながら子育てに向き合っている皆様。一般社団法人不登校・引きこもり予防協会の杉浦孝宣です。

「本人が動き出すまで、信じて見守りましょう」

相談機関やカウンセラーから、そんな言葉をかけられたことはありませんか?その言葉を信じ、数ヶ月、数年と待ち続け、それでも変わらない我が子の姿に、焦りや絶望を感じている親御さんは少なくありません。

私は40年以上、1万人を超える不登校・引きこもりの親子を支援し、自律へと導いてきました。その経験から確信していることがあります。それは、「ただ見守るだけでは、子供の生きる力(非認知能力)は育たない」ということです。

まずはこちらの動画をご覧ください。私が現場で見てきた「非認知能力」の真実についてお話ししています。

▼【動画解説】不登校・引きこもり解決に不可欠な「非認知能力」とは?

https://youtu.be/9-QIPx9SJJo

動画でもお伝えした通り、非認知能力とは、数値化できない、しかし人生を切り拓くために最も必要な「やり抜く力」や「自律心」のことです。これは、安全な部屋の中で一人で待っていても身につきません。親が「手出し」を我慢し、子供が「自分でやるしかない環境」を整えて初めて、芽吹くものなのです。

今回は、動画の内容をさらに深掘りし、私自身の二人の娘の子育て、そして現在進行形である「グランパ」としての孫育てのエピソードを交えながら、どうすれば子供の中に「自律」の灯をともせるのかを本音でお話しします。

「世間体」や「学歴ブランド」という呪縛を解き、お子さんの未来を真に変えるための、具体的な一歩を一緒に考えていきましょう。

目次

1. 「見守るだけ」で非認知能力は育つのか?40年の現場から見える真実

昨今、教育界やビジネス界で「非認知能力」という言葉が独り歩きしています。テストで測れる学力(認知能力)ではなく、やり抜く力、自制心、社会性といった、いわば「生きる力」の正体です。

多くの専門家やカウンセラーは、不登校や引きこもりのお子さんに対して「本人が動き出すまで、信じて見守りましょう」と言います。しかし、支援の現場に40年立ち続け、1万人以上の親子と向き合い、自らも娘二人を育て、現在は「グランパ」として孫育てに奔走している私、杉浦孝宣の結論は違います。

「見守るだけでは、非認知能力は育ちません。子供の自律を促すには、適切な『環境の用意』と、親の『待つ勇気』、そして時には停滞した空気を破る『外からの刺激』が不可欠なのです」

なぜ、ただ待っているだけではいけないのか。それは、非認知能力の核となる「自信」や「自己肯定感」は、密閉された自室で一人で悩んでいても決して回復しないからです。むしろ、社会から隔絶された時間は、子供から「やり抜く力」を奪い去っていきます。

大切なのは、親が「何もしないこと」ではありません。子供が自分の足で一歩を踏み出さざるを得ない、あるいは踏み出したくなるような「環境」を戦略的に整えること。それが、私が提唱する不登校解決の第一歩です。

2. 理由:なぜ「見守るだけ」では不十分なのか

不登校や引きこもりの解決において、なぜ「ただ見守る」だけでは不十分なのでしょうか。それは、お子さんの状態(ステージ)によって、必要なアプローチが全く異なるからです。

「不登校・引きこもりステージ判定」から見る停滞のリスク

当協会では、お子さんの状況を1〜5のステージで判定しています。ステージ1や2の「不登校の初期段階」であれば、休息が功を奏することもあります。しかし、ステージ3(引きこもり初期)から4(長期化)へと進んでいる場合、状況は深刻です。

この段階にあるお子さんは、すでに自信を完全に失い、自分一人の力では「どうすればいいか分からない」迷路に迷い込んでいます。この状態で「動き出すまで待つ」ことは、解決を先延ばしにするだけでなく、お子さんをさらに孤独と絶望の淵へ追いやってしまうことになりかねません。非認知能力の核である「自律」は、本人の意思だけに任せるのではなく、規則正しい生活という「型」があって初めて宿るものなのです。

実動支援にしかできない「心のリハビリ」

非認知能力を鍛えるのは、オンラインの言葉や励ましだけではありません。当協会が「訪問」「寮」「合宿」「同行支援」という実動にこだわるのは、五感を使った体験こそが、麻痺してしまった子供の心を刺激するからです。

  • 環境の力: 家族以外の第三者が介入することで、家庭内の停滞した空気を変える。
  • 体験の力: 合宿などで「自分のことは自分でやる」という、小さな、しかし確実な成功体験を積む。
  • 交流の力: 同じ悩みを持つ仲間と触れ合うことで、社会性を再構築する。

これら「外からの刺激」は、密閉された家庭内での「見守り」だけでは決して得られません。親御さんが勇気を持って一歩踏み出し、適切な環境を用意すること。それこそが、お子さんの非認知能力を再び呼び覚ます、唯一無二のきっかけとなるのです。

3. 実例(1):杉浦家の教育方針と「プールでの攻防」

非認知能力を育むために、親が最も試されるのは「待つ」ことです。しかし、これが何より難しい。私の家庭でも、かつて激しい攻防がありました。今でも鮮明に覚えているのが、娘たちがまだ幼稚園児だった頃のプールや温泉での出来事です。

「早くしなさい」という愛情と、教育の衝突

私の妻は非常に世話好きで、子供が困らないようにと先回りして動くタイプでした。プールから上がると、濡れた体を拭き、すぐさま洋服を着せ、靴を履かせようとします。「風邪を引くといけないから」「周りを待たせちゃ悪いから」と、彼女なりの正論(愛情)を持って「早くしなさい」と急かすのです。

対して私は、徹底して「自分でやらせろ」と言い張りました。子供が不器用な手つきで靴下に足を通そうとするのを、ただじっと見守る。当然、妻とはぶつかりました。

「いつまで待ってるの!?もうみんな着替え終わってるじゃない」
「ちょっと待て。自分たちでやらせないと、いつまで経ってもこの子は親の助けを必要とする子になるぞ」
「そんなこと言ったって、お父さんやお母さんも待っているのよ!」
「待たせておけばいい。今は子育て中なんだから。今が一番大事な時なんだ」

こうしたやり取りは一度や二度ではありませんでした。ある日の会食中には、私の母親からも「あんた、ちゃんと服や靴を履かせなさいよ!こっちはずっと待っているんだから」と釘を刺されたこともあります。私は「ハイハイ、すみませんね。でもね、親がアレこれ手を出すと子供は依存してしまう。待たせてごめん、でも理解してくれ」と頭を下げながらも、方針は曲げませんでした。

周囲の冷ややかな視線と、塾で見た「伸びる子」の共通点

プールサイドでは、他の男親たちからの視線も感じました。「あそこの父親、なんで突っ立ってるだけで子供に服を着せてやらないんだ?」という無言の圧力です。しかし、私はそれを無視しました。なぜなら、当時経営していた学習塾で、多くの子どもたちを見て確信していたことがあったからです。

「伸びる子」は、自分の身の回りのことを自分でやる子でした。
塾にカバンを持ってくる時、親に持たせている子で成績が伸びた例はほとんどありません。自分でカバンを整理し、自分で準備してくる子は、勉強においても「自分で考えて行動する」という非認知能力が備わっていたのです。我が子に対しても、その芽を摘むわけにはいきませんでした。

「納得」は、後からついてくる

何度も揉めましたが、数度こうしたことを繰り返すうちに、家族も最後には納得してくれました。自分で靴を履き、自分でボタンを留める。その数分間の積み重ねが、子供の脳に「自分はできる」という有能感を刻み込みます。この小さな「自律」の積み重ねこそが、非認知能力を育む最短ルートなのです。

4. 実例(2):自律の子育ては繰り返す〜「グランパ」流、孫育ての現場〜

私は現在、二人の孫を持つ身となりましたが、孫たちには私のことを「じいじ」ではなく「グランパ」と呼ばせています。「じいさん」と呼ばれると、なんだか一気に老け込んでしまう気がして、現役の支援者として常にシャキッとしていたいからです。

そんな「グランパ」としての孫育てにおいても、私が貫いているのは40年前と変わらぬ「自律」への教育です。

繰り返される「世話焼き」と「自律」の攻防

面白いことに、子育ての構図は世代を超えて繰り返されます。私の長女は、かつての妻と同じように非常に世話好きです。4歳になる子供(私の孫)に対して、何から何まで先回りして手を出してしまいます。母親としての愛情ゆえでしょうが、私はそれを見ながら「これでは自律の芽が育たない」と内心ハラハラすることもあります。

だからこそ、私がお風呂屋や温泉に孫を連れて行くときは、私のルールで通します。それは「自分のことは自分でやる」という、いたってシンプルな、しかし今の時代に最も欠けているルールです。

「グランパ、着せて」を突き放した先の成長

先日、お風呂屋での出来事です。湯上がりに孫が「グランパ、服着せて」と甘えてきました。私は即座に言いました。「お前一人でやれよ」。

突き放された孫は、不満げながらも一人でパンツを履こうと格闘し始めました。ところが、不器用な足つきで、パンツの片方の穴に両足を入れてしまったのです。そのままバランスを崩し、すてーんと転んで泣きべそをかく孫。私はそれを見て、心配するどころかゲラゲラと笑い飛ばしました。

「ははは!どうするんだ?自分でやるんだぞ。頑張れ!」

周囲のお客さんも、その光景を見て一緒にゲラゲラと笑っていました。しかし、それは冷ややかな笑いではなく、「頑張ってね」という温かな応援の笑いでした。孫は泣きながらも、もう一度自分で足を抜き、今度は正しくパンツを履き直しました。その時の、少し誇らしげな孫の顔。これこそが非認知能力が芽吹く瞬間なのです。

「非認知能力を育む子育て」

「自律」こそが一生の宝物になる

親や周囲が手を出せば、その場はスムーズに収まります。泣き声も聞こえません。しかし、それでは「失敗を自分でリカバーする経験」を奪うことになります。パンツを履き間違えて転んでも、自分で立ち上がって履き直す。この小さな成功体験の積み重ねが、将来、不登校や引きこもりといった大きな壁にぶつかった時に、自力で乗り越える力(レジリエンス)へと繋がるのです。

私はこれからも、自律を促す「グランパ」として、孫たちの自律に向けた実動の場を作り続けていこうと思っています。

5. 実例(3):当協会の成功事例に見る「非認知能力の開花」

私が家庭で「自律を促すグランパ」として孫に接しているのと、支援の現場で不登校や引きこもりの子に接するのは、根底にある思いは全く同じです。それは、「見守る」とは放置することではなく、「本人が自分で立ち上がるための環境を整えること」だという信念です。

「見守るだけ」の限界を超えた逆転劇

多くの親御さんは、専門家から「本人が動き出すまで待ちましょう」と言われ、何年も出口のない暗闇を歩き続けます。しかし、非認知能力(自律心や折れない心)は、何の刺激もない密閉された部屋の中では育ちません。私が「見守るだけでは変わらない」と断言するのは、40年間で以下のような劇的な逆転劇を目の当たりにしてきたからです。

  • 10年の引きこもりを克服し、公務員になったY子さん: 彼女も最初は、部屋の中で親の助けを必要とする生活を送っていました。しかし、ステージ判定に基づいた適切なタイミングで「外の世界」との接触、つまり実動支援を開始しました。自分で決断し、一歩踏み出す。その小さな「自律」の積み重ねが、失われていた非認知能力を再起動させたのです。
  • 中1不登校から自衛隊へ進んだカイト君: 彼の場合、家庭訪問から始まり、最終的には全寮制や合宿という「自分で自分の身の回りを整えざるを得ない環境」に身を置きました。風呂上がりに自分でパンツを履く私の孫と同じように、彼もまた、誰にも頼れない環境で自分を律することを学びました。その結果、最も高い自律心が求められる自衛隊という職務に就くまでに成長したのです。

なぜ「寮」や「合宿」という実動支援が効くのか

オンラインのカウンセリングだけでは、非認知能力を鍛えることは不可能です。当協会が「訪問」「寮」「合宿」「同行支援」にこだわるのは、そこには「失敗できる現場」があるからです。パンツを履き間違えて転ぶ孫を見て私が笑ったように、合宿でも失敗はつきものです。しかし、そこで「次はどうすればいいか?」を自分で考えるプロセスこそが、自律への最短距離なのです。

「うちの子には無理だ」と思われるかもしれません。しかし、成功事例に登場する子供たちも、最初は皆、自信を失い、自室に閉じこもっていました。彼らを変えたのは、親御さんが「見守るだけ」という不安な日々を終わらせ、自律を促す「環境」という一歩を踏み出した勇気なのです。

具体的な成功事例の軌跡は、以下のリンクからもご覧いただけます。

成功事例まとめ(YouTube再生リスト)

16名以上の成功事例一覧(当協会公式ページ)

6. 具体的な提案:今日からできる「非認知能力を育む支援」

非認知能力を育むといっても、特別な英才教育が必要なわけではありません。日常の些細な場面、そして人生の節目での「選択」こそが、子供の自律を左右します。ここでは、親御さんが今日から意識すべき具体的な関わり方を提案します。

「早くしなさい」を捨て、訓練の時間に変える

朝の忙しい時間、幼稚園に遅れそうな子供を見て「早くしなさい!」と声を荒らげ、親が服を着せてしまう。よく見かける光景ですが、私からすればこれほどもったいないことはありません。

親が手を出し、口を出して、スムーズに目的地(幼稚園)に着くことに一体何の価値があるのでしょう? 幼稚園や学校は、社会に出るための「訓練所」です。遅れるなら遅れたっていいじゃないですか。自分で服を着る、自分で準備をするという「自律を促す大切な時間」を放棄してまで、時間を守ることに固執する必要はありません。この「待つ」という親の修行こそが、親コーチングの第一歩です。

高校時代の「自律」:学校を目的化しない戦略

自律を促す場面は、成長とともに難易度が上がります。私の長女が中堅の県立高校で部活をすぐに辞めた際、私は無理に続けさせず「暇ならバイトをしろ」と促しました。学校以外のコミュニティで揉まれ、自分の力で対価を得る経験こそが、非認知能力を鍛えると考えたからです。彼女が当時の仲間と今でも友情を育んでいるのは、学校だけが世界のすべてではないと知ったからでしょう。

また、彼女が「教員になりたいから国立大学を目指して浪人する」と言った際、私はあえて反対し、教員免許が確実に取れる私立大学への進学を勧めました。ブランドに固執して浪人するよりも、目的(教員になる)に向かって最短距離で現場に出るべきだと判断したからです。

「先生になりたいんだろ? 教員になるのに出身大学のランクは関係ない。採用試験に受かればいいだけだ。ブランドという『認知能力』の飾りよりも、一刻も早く現場で『非認知能力』を磨け」

娘は猛反発しましたが、最後は納得して進学し、一発で教員採用試験に合格しました。ブランドという呪縛に親子で囚われていたら、今の彼女の成功はなかったかもしれません。

家庭のミッションを再定義する

「どうしても早慶じゃなければダメだ」と固執し、親子関係を悪化させる家庭。医師家庭で慶應医学部にこだわり、既に他大学に受かっている子を6浪させて追い詰めるケース。これらはすべて、学校を「目的」にしてしまっています。

ご家庭のミッションは、子供を有名校に入れることではなく、「子供が学校を卒業した後、希望の職に就き、社会に貢献できる自律した人材にすること」ではないでしょうか。そのために必要なのは、親が世間体を捨てて「待つ勇気」を持ち、子供に「自分で決めて行動する機会」を与えることなのです。

7. 結末:学校を「目的」にせず、人生を「自律」させる

これまで、私自身の家庭でのエピソードや支援現場での成功事例をお話ししてきましたが、最後に、今まさに暗闇の中で悩んでいる保護者の方々へ伝えたいことがあります。

「ブランド」という呪縛が親子を壊す

40年以上の進路指導の中で、私は多くの「ブランドに固執して道を失う親子」を見てきました。早慶や医学部といった名門校に入ることが「目的」になってしまい、肝心の親子関係が修復不可能になるまで壊れてしまう家庭。中には、既に他大学に受かる実力がありながら、特定校のブランドのために何年も浪人を重ね、精神的に追い詰められているお子さんもいました。

ここで一度、立ち止まって考えてみてください。その学校に行く「最終目的」はどこにありますか? 学校はあくまで、その先の人生を豊かにするための「通過点」であり「手段」に過ぎません。

家庭の真のミッションとは

保護者の皆さんのミッションは、子供を有名な学校に入れることではありません。「子供が学校を卒業した後、規則正しい生活をし、自信を持って希望の職に就き、社会に貢献できる自律した人材へと育てること」ではないでしょうか。

そのためには、幼少期のプールの着替えから、高校時代の進路選択まで、一貫して「自分で考えて行動する=自律」を促すことが不可欠です。親がアレコレと先回りしてレールを敷くことは、一見近道に見えて、実は子供の「生きる力」を削いでいるのです。私が長女に「ブランドより教員試験という実利」を説いたのも、彼女が社会で自律して生きていく姿を確信していたからです。

今日から、自律に向けた一歩を

不登校や引きこもりは、決して「終わり」ではありません。むしろ、これまでの関わり方を見直し、お子さんが本当の意味で自律するための「転換期」です。現在、産休中の長女が慕われる先生となり、次女も銀行員として働き、孫たちが私の前で一生懸命に靴を履こうとしている姿を見るたびに、私は「自律を促す教育」の正しさを確信します。

「見守る」ことに不安や限界を感じているなら、勇気を持って「環境」を変えてみてください。私たちと一緒に、お子さんが自分の足で歩き出す新しい一歩を支えていきましょう。自律を促す「グランパ」として、私はこれからも現場に立ち続けます。


不登校・引きこもり解決への道しるべ

一人で悩まず、まずは現状を正しく知ることから始めてください。

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