
40年以上の指導歴と不登校・ひきこもりの
9割を立ち直らせた解決力
まずは30分無料相談へ

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一般社団法人未来自律支援機構 代表理事の杉浦孝宣です。
前回、私は親父の「都落ち」という言葉に反発し、アメリカへと飛び出す決意を綴りました。アレルギー体質の私にとって、ロサンゼルスのカラッとした気候は天国でした。
しかし、そこで待っていたのは、日本の常識が微塵も通用しない「多様性」と「自律」の激しい洗礼だったのです。
最初に入ったホームステイ先を「気が利かない」という理由でわずか一週間で追い出された私は、リトルトーキョーを離れ、ある黒人の母子家庭に身を寄せることになりました。掃除、洗濯、皿洗いを完璧にこなす代わりに、住居費と食費は無料。大学まで自転車で30分という好立地でしたが、今度こそ追い出されまいと必死でした。
一つ作業を終えるたびに、奥様に「Is that all right?(これでいいですか?)」と聞き直す日々。満足なら「That’s enough」、不満なら「I’ll show you」と手本を見せられる。
この泥臭い奉仕活動が、私の「自律」の第一歩でした。
そんな中、大学で人生初の友人ができました。めちゃめちゃに親切な彼のアパートに招かれた時、私はある衝撃の事実に直面します。彼はゲイだったのです。
当時の私にはショックでしたが、この経験が「人は背景ではなく、その人自身を見るべきだ」という私の人間観の土台となりました。
「何かに専念しよう」と決めた私が体育で選択したのはサーフィン。毎週火曜の朝5時半、ハモサビーチ(Hermosa beach)に集合です。教官のMr.Kelseyは、どんな波でも正座のままバランスを崩さず乗りこなす達人でした。10回に2回しか乗れない私に、彼は「泳げ」と命じ、私は毎日5キロから10キロもプールで泳ぐ羽目になりました。
ある日、桟橋を越えるほどの大波が出ました。「無理だ」と帰ろうとする私に、彼は言いました。「How come?(なぜ帰る?授業に高さ制限はないぞ)」。
恐怖で体をこわばらせながら波に乗り、案の定、強力な洗濯機の中に放り込まれたようなグルグルの中で「もうダメだ」と死を覚悟した瞬間、Mr.Kelseyが助けてくれました。岸で何度も吐きながら見た彼のライディングは、格好良すぎて言葉になりませんでした。この「恐怖に立ち向かう経験」が、後に私が困難な支援現場へ飛び込む勇気を与えてくれたのです。
本格的に簿記会計の授業が進むと、戦いは「海」から「数字」へと変わりました。当時はIBMのパンチカードを打ち込む大型コンピューターの時代。BasicやFortranを覚え始めた頃、電算室にはリンゴのマークのコンピューター――Appleの初期モデルが並び始めていました。もしあの時、Macにのめり込んでいたら、私の人生はITに向かっていたかもしれません。
しかし、私の前に立ちはだかったのは「難敵・簿記」でした。もともと細かい計算は大の苦手。当時はすべて手書きです。何度やってもバランスシート(貸借対照表)が合わない。10時間以上机に向かい、考え抜いた末、私は人生初の「ぎっくり腰」になりました。
痛みに耐え、這いつくばるようにしてバランスシートを眺めていた時、ようやく気づいたのです。自分の書いた「2」が汚くて「5」に見えていただけだったということに。
愕然としました。こんな間違いのために腰を壊したのかと。翌朝、文字通り這って大学に行き、受けた試験は98点。マイナス2点は「数字が汚い」という理由でした。この「数字への徹底的な格闘」と「苦い教訓」が、後に2,576件のデータを一分の隙もなく管理する、今の私の執念を生んだのです。
追い出されたホームステイ、死にかけた海、そして腰を痛めた簿記。アメリカでの全ての経験が、私に「逃げずに向き合うこと」と「客観的事実(数字)の重み」を教えてくれました。
「自分は数字に向いていない」という絶望から始まった格闘が、40年後の今、不登校解決率9割を支える「2,576件のデータベース」という最強の武器に変わっています。人生のマイナスは、必ずプラスに転換できる。私は自らのぎっくり腰の経験をもって、それを確信しています。
次回予告:第3回「時給2万円の家庭教師から『中学浪人』との出会いへ」
帰国後、私はエリート家庭教師として成功を収めますが、そこで出会った「中学浪人」という存在が私の運命を大きく変えます。教育の光と影。その真相をお話しします。
40年の実績と2,576件のデータから生まれたJADA独自の「5ステージ判定モデル」。
データは嘘をつきません。お子様の現状を、客観的に診断してみませんか。
一般社団法人未来自律支援機構(JADA)
代表理事 杉浦 孝宣








